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深大寺(じんだいじ)は、733年(天平5年)に満功上人(まんくうしょうにん)が法相宗の寺として開創したことに始まる。 東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹。 貞観年中(859−877)に比叡山の恵亮和尚が天台宗に改宗し、991年(正暦2年)には比叡山中興の祖である元三慈恵大師の自刻像が恵心僧都の弟子寛印法師によって移されたのだという。 本尊は宝冠阿弥陀如来像。 正式名称は浮岳山昌楽院深大寺。 |
『新編武蔵国風土記稿』によると、源氏の尊崇を受けて天台密教関東第一の道場として興隆したという深大寺。 1193年(建久4年)、源頼朝は弟の範頼を謀反の疑いで滅ぼすこととなるが、比企尼の嘆願で助命された範頼の子範円・源昭は深大寺に住み、源昭は別当になったのだという。 源昭は慈光寺(埼玉県ときがわ町)の別当も兼ねていたのだとか。 また、鎌倉幕府の最後の将軍守邦親王の子守慧も別当を勤めたのだという。 |
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元三大師堂には、日本最大の肖像彫刻・元三大師像が安置されている。 開山堂は、深大寺開創1250年の際に新築された奈良時代様式の堂宇。 |
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深沙堂は、秘仏の深沙大王像(鎌倉時代中期)を祀る堂宇。 釈迦堂には、国宝の銅造釈迦如来倚像と重要文化財の梵鐘が安置されている。 |
約20軒の蕎麦屋が軒を連ねる深大寺。 江戸時代、深大寺の寺領は稲作に不向きだったため蕎麦が栽培され、小作人は「そば粉」を納めていたのだという。 深大寺で来客のために打たれた蕎麦が「深大寺そば」のはじまり。 深大寺を訪れた際、蕎麦で接待された上野寛永寺の公弁法親王が将軍家や諸大名に推奨したことで「深大寺そば」の人気が高まり、「献上蕎麦」として全国に知られるようになったのだと伝えられている。 |
東京都調布市深大寺元町5−15−1 調布駅中央口からバス 深大寺行「調34」で「深大寺」下車すぐ。 吉祥寺行「吉14」で「深大寺小学校前」下車徒歩5分 杏林大学病院行「調35」で「深大寺小学校前」下車徒歩5分 吉祥寺行「吉05」「吉06」で「深大寺入口」下車徒歩8分 |
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