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鎌倉「親王将軍」

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宗尊親王

 後嵯峨天皇の第二皇子。

 1252年(建長4)、11歳の時に五代執権北条時頼の要請で鎌倉へ下向し、六代将軍となる。

 皇族としては最初の征夷大将軍。

 1266年(文永3年)、正室の近衛宰子と僧・良基の密通事件をきっかけに謀反を疑われ、将軍を解任されて京都へ送還された。


宗尊親王歌碑
宗尊親王の歌碑
(藤沢:本蓮寺)

 将軍職を廃された宗尊親王は、京へ送還される途中の本蓮寺で「帰り来て又見ん事も固瀬川濁れる水のすまぬ世ならば」と詠んだという。 


リンクボタン宗尊親王の正室は源頼朝の姉坊門姫の玄孫





惟康親王

 六代将軍宗尊親王の嫡男。

 3歳で征夷大将軍に就任。

 1289年(正応2年)9月14日、将軍職を解任され京に戻された。


リンクボタン惟康親王は源頼朝の姉坊門姫の来孫





久明親王

 後深草天皇の第六皇子。

 1308年(延慶元年)、将軍職を解任され京に送還された。


リンクボタン久明親王は源頼朝の姉坊門姫の来孫





守邦親王

 八代将軍久明親王の子。

 1333年(元弘3年)5月22日、新田義貞の鎌倉攻めで鎌倉幕府は滅亡。

 守邦は鎌倉幕府最後の将軍となった。

 幕府滅亡後、守邦は武蔵国比企郡増尾郷に逃れ、大梅寺に葬られたという説がある。

 子の守慧は武蔵国の深大寺の別当を勤めたという説も。


リンクボタン守邦親王は源頼朝の姉坊門姫の昆孫







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