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花すすき 葉分けの露や なににかく 枯れ行く野べに 消えとまるらむ |
「すすきの穂の下葉に宿る露は、どうして枯れていく野辺に消えたり残ったりしているのでしょう」 この歌は、藤原宣孝の死後の9月の末に「物思いをしていらっしゃるのですか」と問われた時の返事に詠んだもの。 |
世にふるに なぞかひ沼の いけらじと 思ひぞ沈む そこは知らねど |
「世に生きていてなんの甲斐があるのかと、思いは心の底に沈んでいく。その池の底は知らないけれど」 この歌は、藤原宣孝を亡くした後、患っているころにある人が 「かひ沼の池という所があるそうよ」 と不思議な歌語りをするのを聞いて 「試みに歌を詠んでみましょう」 というので詠んだもの。 |
心ゆく 水のけしきは 今日ぞ見る こや世にかへる かひ沼の池 |
「今日、心が晴れ晴れとする水の景色を見ました。これが生きる甲斐があるという貝沼の池でしょうか」 この歌は、「今度は気持ちよさそうに詠もう」と思って詠んだもの。 かひ沼(貝沼)の「貝」と生き甲斐の「甲斐」を懸け、「池」と「生け」を懸けている。 |
『紫式部集』の順番では、この三首の前に 垣ほ荒れ さびしさまさる とこなつに 露おきそはむ 秋までは見じ という歌が収められている。 この歌は、藤原宣孝の浮気を嘆いたものと言われるが、宣孝亡き後の紫式部邸の寂しさを詠んだものとする説もある。 |
紫式部の歌~藤原宣孝が来ない邸宅で嘆く紫式部~ |
廬山寺は、紫式部の邸跡に建てられている寺。 ここに藤原宣孝が通って結婚生活が送られ、娘の賢子が誕生した(通い婚)。 |
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