紫式部「光る君へ」


藤原寛子
藤原道長の三女


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 藤原寛子(ふじわらのかんし)は、藤原道長の三女。

 母は源明子

 999年(長保元年)誕生。


 1017年(寛仁元年)、三条天皇の第一皇子・敦明親王に嫁ぐ。

 敦明親王は後一条天皇の皇太子だったが、道長の圧力もあって皇太子を辞退。

 道長は、准太上天皇として太上天皇に准じた扱いをし、寛子を嫁させたのだという。

 敦明親王は寛子を妃とすると堀河殿から高松殿に移るが・・・

 寛子より先に妃となっていた藤原延子は、悲嘆のあまりに病に伏し、1019年(寛仁3年)に亡くなっている。


 1025年(万寿2年)7月9日、27歳で薨去。




堀河院跡
リンクボタン堀河院跡

 堀河院(堀河殿)は、藤原延子の父で左大臣・藤原顕光が伝領した邸宅。

 延子と顕光の死後、藤原道長の娘の寛子・嬉子妍子が続けて死去するが・・・

 延子と顕光の怨霊が現れたとも伝えられる。



リンクボタン藤原顕光と藤原延子の怨霊に祟られた藤原道長の娘たち




京都:高松神明神社
リンクボタン高松神明神社

 高松神明神社は、源高明が造営した高松殿の鎮守。

 藤原道長と結婚した高明の娘明子は、ここに住んで高松殿と呼ばれた。

 寛子と敦明親王も高松殿に住み、寛子は高松殿女御と呼ばれた。










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