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大堰の邸(おおいのやかた)は、光源氏の明石時代の愛人・明石の君が上京したときに住んだ邸宅。 光源氏は完成した二条院に明石の君を迎えるつもりで京へ誘った。 明石の君は上京したのだが・・・ 田舎育ちの自分が光源氏の愛人の中で暮らすことに不安を抱き、母・明石尼君の祖父・中務宮の別荘を修築して住むことに。 『源氏物語』には「大堰川のほとり」に住んだと描かれているが、 桓武天皇の大堰離宮が舞台となったと推定されている。 光源氏は、お忍びで大堰の邸を訪れ、明石の君と姫君に再会。 紫の上に頼んで姫君を紫の上の養女とすることにし、二条院に引き取った。 明石の君と姫君は、のちに姫君が入内するまで会うことはなかった・・・ |
大堰川 |
渡月橋 |
大堰川(おおいがわ)は、桂川の渡月橋より上流で、その名は平安京遷都以前に大きな堰が築かれたことに由来するのだという。 986年(寛和2年)、藤原道長は円融上皇隣席のもとで「三舟の遊興」を催し、藤原公任が和歌を残している。 |
三舟の才~藤原道長の三舟の遊興と藤原公任~ |
嵯峨には光源氏が建てた御堂もあった。 清凉寺は、光源氏のモデルともいわれる源融の別荘「栖霞観」があった地。 光源氏の嵯峨の御堂のモデルとなった地でもある。 |
二条院は、光源氏が明石の姫君を迎え入れた邸宅。 |
六条院は、『源氏物語』に光源氏の邸宅として登場する架空の建築物。 明石の君は六条院が完成すると、冬の町に入って冬の御方と呼ばれるようになる。 |
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町 嵯峨嵐山文華館(時雨殿)前 |
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