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『大鏡』によると・・・ 藤原道長が大堰川で舟遊び(三舟の遊興)を催したときの時の事。 道長は管弦・漢詩・和歌の三つの船を用意させ、それぞれの分野に秀でた者を分乗させた。 さて、ここで問題なのが詩歌管弦に通じていた藤原公任をどの船に乗せるか。 道長は公任にどの船に乗るかを問うと、公任は和歌の船を選んで一首詠んだのだという。 「小倉山 嵐の風の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき」 (小倉山や嵐山からの風が寒いので、散りかかった紅葉の葉で人々の衣が錦のように見える) |
面を踏む~才能あふれる公任と道隆・道兼・道長の三兄弟~ |
大堰川(おおいがわ)は、桂川の渡月橋より上流で、その名は平安京遷都以前に大きな堰が築かれたことに由来するのだという。 三舟の遊興は、986年(寛和2年)、円融上皇隣席のもとで開催されたのだという。 |
藤原公任の和漢朗詠集が国宝に。 |
紫式部の『源氏物語』では、光源氏の明石時代の愛人・明石の君が上京したときに住んだ大堰の邸が大堰川のほとりにあった。 |
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