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赤間神宮は、源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」で亡くなった安徳天皇を祀る社。 1185年(元暦2年)3月24日、源義経率いる水軍と平知盛率いる水軍が、長門国赤間関壇ノ浦の海上で衝突。 平家軍の敗北により、平家一門は次々に入水。 幼い安徳天皇も按察局(あぜのつぼね)に抱かれて入水したのだという(『吾妻鏡』)。 赤間神宮は、859年(貞観元年)に開かれた阿弥陀寺を始まりとし、1191年(建久2年)に後鳥羽天皇の勅命により御影堂が建立され、江戸時代までは安徳天皇御影堂と称され崇敬された。 明治の神仏分離によって阿弥陀寺が廃されて天皇社となり、1875年(明治8年)に赤間宮に改称、さらに1940年(昭和15年)、赤間神宮に改称。 第二次大戦で社殿を焼失するが、1965年(昭和40年)に再建された。 |
水天門は、壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇が住んだという竜宮城をイメージした門。 |
1185年(元暦2年)3月24日に崩御した安徳天皇の御陵。 |
平家一門の墓 |
耳なし芳一 |
日本西門鎮守八幡宮 |
紅石稲荷神社 |
「上巳の節句」は、3月上旬の巳の日に、「邪気祓い」のために行われていた祭事。 紙の人形で体を撫でて穢れを落とした後、海や川に流していた(流し雛)。 紫式部の『源氏物語』では、光源氏が蟄居していた須磨の浜で上巳の禊を行っている。 『吾妻鏡』には、鶴岡八幡宮の上巳の節句の祭事に源頼朝が出席したことが記されている。 赤間神宮では、安徳天皇や平家の武将の霊を慰める神事として行われ、曲水の宴も行われる。 3月第一日曜。 |
『北条九代記』や『保暦間記』によると、1198年(建久9年)12月27日、源頼朝は、鎌倉の稲村ヶ崎で安徳天皇の怨霊と出会い、病気となって、翌年正月13日に亡くなったのだという。 |
源義経や安徳天皇の怨霊が・・・ |
山口県下関市阿弥陀寺町4-1 JR山陽本線「下関駅」からバス 「赤間神宮前」下車 |
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