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鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
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赤間神宮の水天門

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赤間神宮水天門


 赤間神宮の水天門は、源平最後の戦いの場となった壇ノ浦を望む竜宮造(りゅうぐうづくり)の楼門。

 1957年(昭和32年)に竜宮城をイメージして建立され、翌年、昭和天皇・皇后両陛下が通り初めをされている。

 2018年(平成30年)、水天門と回廊が国の有形文化財に登録された。

 名称は、安徳天皇が水天大神と称せられたことに由来。



〜安徳天皇を慰めた二位尼〜

 壇ノ浦の戦いで、源義経を大将とする鎌倉軍に敗れて、次々と入水した平家一門。

 二位尼(平時子・平清盛の妻)は入水する前に

 「今ぞ知る みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」

 と詠み、安徳天皇を慰めたのだとか。


 『平家物語』によると・・・

 源氏の兵たちが平家の船に乗り移ってくると、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を脇に挟み、草薙の剣(くさなぎ)を腰に差し、幼い安徳天皇を抱いて、ゆっくりと船の端へと進んでいった二位尼。

 安徳天皇に「どこへ行くのだ?」と問われた二位尼は涙を流しながら、

 「君は、今の世に天子としてお生まれになりましたが、悪縁に引き寄せられ、御運はすでに尽きてしまいました。

 まずは東に向かって伊勢大神宮を拝み、西方浄土の来迎の恩恵を受けるために念仏を唱えなさいませ。

 この国は、辺地にある粟粒を散らしたような小国で、心苦しい場所です。

  あの波の下にこそ、極楽浄土という素晴らしい都がございます。

 そこへいっしょに参りましょう」

 と答え、安徳天皇とともに深い海の底に沈んでいったのだという。


八尺瓊勾玉と草薙の剣は三種の神器。



〜建礼門院が見た竜宮城〜

 海に飛び込んだが、助けられて都に戻ることとなった安徳天皇の母・建礼門院(平清盛の娘徳子)。

  『平家物語』によると・・・

 播磨国の明石の浦(現在の兵庫県明石市)に着いて、うとうととしていると、昔の内裏よりもりっぱな所に、安徳天皇を参らせた平家一門の公卿や殿上人が礼義正しく並んでいる夢を見た。

 都を出てから、見た事がない美しい所だった。

 建礼門院が「ここは何という所ですか」と問うと、二位尼が「竜宮城という所です」と答えたのだとか・・・。







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赤間神宮
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山口県下関市阿弥陀寺町4-1

JR山陽本線「下関駅」からバス
「赤間神宮前」下車


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