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草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)の別称。 三種の神器の一つ。 神話によると・・・、草薙剣が熱田神宮に祀られている経緯は次のようになる。 |
姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)の高天原(たかまがはら)で乱行を働いて出雲に追放されたスサノオ。 そこで出会ったのが老夫婦とその娘・稲田姫命(くしなだひめのみこと)。 老夫婦から、娘がヤマタノオロチに食われてしまうこと聞いたスサノオは、娘を嫁にもらう約束でヤマタノオロチを退治。 その時に大蛇の尾から見つかったのが草薙剣なのだとか。 |
その後、草薙剣は天照大神に献上され、邇邇藝命(ににぎのみこと)が降臨する際には八咫鏡・八尺瓊勾玉のとともにニニギノミコトに授けらた。 それ以来、天皇家では八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を三種の神器として宮中に祀っていたのだという。 『日本書紀』には、宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祀っていたことが記されている。 ※三種の神器=天照大神。 しかし、第10代崇神天皇は、神と同居して寝食を共にするのは畏れ多いとして、天照大神を皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託し、笠縫邑(かさぬいむら・かさぬいのむら)に祀った(紀元前92年)。 さらに、95年(垂仁天皇25年)、第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)によって伊勢神宮に遷された。 |
父の第12代景行天皇から東征を命じられた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、倭姫命から伊勢神宮にあった草薙剣を賜わる。 東国を平定した日本武尊は、その帰路、尾張に滞在して宮簀媛命(みやすひめのみこと)を妃とし、神剣を妃に預けた。 日本武尊が伊勢国の能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は、預けられた神剣を祀るため熱田神宮を建立したのだという(113年(景行天皇43年))。 |
三種の神器は、皇位継承とともに承継され、これを所持することが正統たる帝の証とされてきた。 しかし、1184年(元暦元年)に即位した後鳥羽天皇は、三種の神器を所持した安徳天皇が平家一門とともに西海にいたため、神器なき即位となる。 翌1185年(元暦2年)3月24日、壇ノ浦の戦いで平家が敗れると、安徳天皇は平家一門とともに入水。 草薙剣も海底に沈んでしまう。 その後、草薙剣の探索が行われたが発見されなかった。 そのため、後鳥羽天皇は刀剣に強い思いを持っていたといわれている。 |
※ | 壇ノ浦に沈んだ草薙剣は形代だったといわれている。 |
「菊御作」は、後鳥羽上皇自らが鍛えた太刀。 |
壇ノ浦の戦いと三種の神器と頼朝・範頼・義経 |
三種の神器のうち、草薙剣は熱田神宮・八咫鏡は伊勢神宮の皇大神宮・八尺瓊勾玉は吹上御所(皇居)の「剣璽の間」に安置されている。 また、崇神天皇が天照大神を宮中の外に祀った時、八咫鏡と草薙剣の形代が作られ、八咫鏡の形代は宮中三殿の賢所に、草薙剣の形代は吹上御所の「剣璽の間」に安置されている。 |
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