鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



歴史めぐり源頼朝
〜木曽義仲追討〜








 1183年(寿永2年)閏10月、木曽義仲と対立していた後白河法皇は、源頼朝を上洛させるため、頼朝を元の官職である従五位下左兵衛佐に戻し、「東海・東山両道における頼朝の支配権」を認めます(寿永二年十月宣旨)。

 これによって、これまで反乱軍として扱われていた鎌倉軍は、朝廷から認められる軍となりました。

  さっそく頼朝は、その権限を行使し、翌11月に入ると、木曽義仲の動向を探るため、弟義経を近江国へ派遣します。

 一方、後白河法皇に見放され、頼朝の上洛を恐れる都の義仲は、11月19日、後白河法皇の法住寺殿の焼き討ちし、12月には頼朝追討の院宣を強要、翌年1月には征東大将軍に任命されました。

 これに対し頼朝は、弟範頼に義仲追討を命じ、大軍をつけて鎌倉を出発させます。

 そして、1月20日、範頼が瀬田から、義経が宇治から京を攻撃したことで、義仲は惨敗を喫します。

 義仲はわずかな兵ととともに京を脱出しますが、1月20日、範頼の大軍に攻められ、近江国粟津で討死しました。



三十三間堂(京都市)
リンクボタン三十三間堂
(京都市東山区)

 三十三間堂は、後白河法皇の院御所法住寺殿の一画に建てられました。


宇治川先陣の碑
リンクボタン宇治川先陣の碑
(宇治市)

 宇治川の戦いでは、佐々木高綱梶原景季が先陣争いを繰り広げました。

瀬田の唐橋
リンクボタン瀬田の唐橋
(大津市)

 範頼が進軍した橋


義仲寺
リンクボタン義仲寺
(大津市)

 義仲寺は、粟津の戦いで討たれた義仲が葬られた場所と伝えられています。


木曽義仲の墓
リンクボタン木曽義仲の墓
(義仲寺)

木曽義仲の首塚
リンクボタン木曽義仲の首塚
(京都:八坂の塔)

 義仲の首は六条河原に晒された後、家臣の手で葬られたのだと伝えられ、八坂の塔首塚が建てられています。


巴塚
リンクボタン巴塚
(義仲寺)

 木曽義仲の愛妾・巴御前の供養塔。


今井兼平の墓
リンクボタン今井兼平の墓
(大津市)

 今井兼平は義仲の重臣。

 粟津の戦いで義仲とともに壮絶な最期を遂げました。


木曽義仲一族の墓所
リンクボタン木曽義仲一族の墓所
(長野県木曽町:徳音寺)

 義仲が育った木曽の徳音寺には、義仲・母の小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓が建てられています。





時代祭巴御前
リンクボタン巴御前
(京都:時代祭)


リンクボタン宇治川の先陣争い

リンクボタン木曽義仲の妾巴御前と戦った畠山重忠

リンクボタン粟津の戦い:木曽義仲と今井兼高の最期




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