1180年(治承4年)10月20日、富士川の戦いで平家軍を破った源頼朝は、翌日、黄瀬川の宿に戻ります。 そこへ一人の若者がやってきて頼朝への面会を求めました。 土肥実平、土屋宗遠、岡崎義実らがこれを怪しみ、取り次ぎをしないでいましたが・・・ この話を聞いた頼朝は「年齢の程を思うと奥州の九郎(義経)かもしれない」と話し、すぐに会うことに。 土肥実平が若者を請じ入れると、やはり義経でした。 義経が御前に進むと、互いに往時をしのび、懐旧の涙を流します。 そして頼朝は、 後三年の役の際に、先祖源義家が苦戦をしていると、弟義光が朝廷警固の官職を辞して奥州に下り、敵を滅ぼすことが出来たという故事を引き合いに出し、 「今日ここへ来たのは、この先祖の例に匹敵するものだ」 といって義経の来訪を喜んだのだといいます。 |
源義経は、平治の乱が起こった1159年(平治元年)に生まれました。 11歳の時に鞍馬寺へ預けられますが、1174年(承安4年)、鞍馬寺を出て奥州平泉の藤原秀衡の庇護を受けていました。 |
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安国殿 (東京:増上寺) |
久能山 (静岡市) |
増上寺の安国殿に祀られている徳川家康の守り本尊「黒本尊」は、もとは義経の守り本尊で、奥州へ下る途中で三河国の長者に預けたものなのだとか。 駿河の久能山には「薄墨」と呼ばれる笛を奉納したらしい。 |
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