鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



歴史めぐり源頼朝
〜義経と涙の対面〜








  1180年(治承4年)10月20日、富士川の戦いで平家軍を破った源頼朝は、翌日、黄瀬川の宿に戻ります。

 そこへ一人の若者がやってきて頼朝への面会を求めました。

 土肥実平、土屋宗遠、岡崎義実らがこれを怪しみ、取り次ぎをしないでいましたが・・・
 
 この話を聞いた頼朝は「年齢の程を思うと奥州の九郎(義経)かもしれない」と話し、すぐに会うことに。

 土肥実平が若者を請じ入れると、やはり義経でした。

 義経が御前に進むと、互いに往時をしのび、懐旧の涙を流します。

 そして頼朝は、 後三年の役の際に、先祖源義家が苦戦をしていると、弟義光が朝廷警固の官職を辞して奥州に下り、敵を滅ぼすことが出来たという故事を引き合いに出し、

  「今日ここへ来たのは、この先祖の例に匹敵するものだ」

 といって義経の来訪を喜んだのだといいます。



平家越の碑(富士市)
リンクボタン平家越の碑
(富士市)


頼朝・義経対面石(駿東郡清水町)
リンクボタン頼朝・義経の対面石
(駿東郡清水町・八幡神社)





〜奥州平泉にいた義経〜

  源義経は、平治の乱が起こった1159年(平治元年)に生まれました。

 11歳の時に鞍馬寺へ預けられますが、1174年(承安4年)、鞍馬寺を出て奥州平泉藤原秀衡の庇護を受けていました。



リンクボタン源義経の奥州下り〜平治物語〜

リンクボタン『義経記』が描く源義経の奥州下り

リンクボタン源義経と浄瑠璃姫の伝説〜鳳来寺〜

リンクボタン浄瑠璃物語〜源義経と浄瑠璃姫〜



増上寺安国殿
リンクボタン安国殿
(東京:増上寺)
久能山東照宮楼門
リンクボタン久能山
(静岡市)


 増上寺安国殿に祀られている徳川家康の守り本尊「黒本尊」は、もとは義経の守り本尊で、奥州へ下る途中で三河国の長者に預けたものなのだとか。

 駿河の久能山には「薄墨」と呼ばれる笛を奉納したらしい。




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源頼朝









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