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| 1334年(建武元年) |
| 後醍醐天皇による「建武の新政」が開始される。 報国寺が建立される。 |

| 1334年(建武元年) |
| 後醍醐天皇の皇子護良親王が足利尊氏と対立し東光寺(現在の鎌倉宮)に幽閉される。 |

| 1335年(建武2年) |
| 北条時行の反乱。護良親王が殺害される(中先代の乱)。 |
| 1336年 |
| 足利尊氏が「建武式目」を定める(室町幕府の成立)。 南北朝時代。 新田義貞が九品寺を建立。 |

| 1338年 |
| 足利尊氏が征夷大将軍となる。 |
| 1339年 |
| 後醍醐天皇没。 |
| 1342年 |
| 五山十刹が制定される。 |
| 1349年 |
| 足利基氏が鎌倉公方となる。 |
| 1392年(明徳3年) |
| 南北朝統一。 |
| 鎌倉幕府滅亡後、京都では後醍醐天皇による親政が行われるが失敗に終わり、足利尊氏が幕府を開いた。 鎌倉には鎌倉府が置かれ、その長官を鎌倉公方と称していた。 |
| 1394年(応永3年) |
| 上杉氏定が海蔵寺を建立。 |

| 1405年(応永12年) |
| 永福寺焼失。 |
| 1405年(応永23年) |
| 上杉禅秀の乱。 |
| 1436年(永享8年) |
| 足利持氏が本覚寺を建立。 |

| 1438年(永享10年) |
| 永享の乱(足利持氏自刃)。 |
| 1455年(康正元年) |
| 享徳の乱。足利成氏が古河に逃れる |
| 代々の鎌倉公方は京都の将軍と対立を繰り返した。 永享の乱で足利持氏が敗れると鎌倉公方は空席となっていたが、1449年(宝徳元年)、持氏の遺児成氏が鎌倉公方となった。 しかし、1454年(享徳3年)、成氏は関東管領上杉憲忠を御所に招き謀殺。幕府は憲忠の後継者房顕を援護するため今川範忠を起用し、成氏討伐に向かわせた(享徳の乱)。 この戦いによって成氏は古河に逃れ「古河公方」と称するようになる。 これにより鎌倉は政治の中心から離れ、そして、戦国時代を迎えることとなる。 |
北条氏の時代その2 |
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