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後一条天皇は一条天皇の第二皇子。 母は藤原道長の長女・藤原彰子。 1036年(長元9年)4月7日、清涼殿で崩御(29歳)。 土御門殿に遷された遺体は、棺に納めて安置され、5月19日に神楽岡で火葬され、浄土寺に安置された。 その後、彰子が火葬の地に菩提樹院を建て、遺骨が移されたのだという。 中宮・藤原威子が産んだ章子内親王の陵墓でもある。 |
清涼殿跡 (平安宮) |
清涼殿 (京都御所) |
後一条天皇が崩御したのは平安宮の清涼殿。 京都御所の清涼殿は、1855年(安政2年)に平安時代の建築様式で造営。 |
後一条天皇の陵墓の東には、生母・藤原彰子の発願で創建された東北院がある。 もとは藤原道長の法成寺の一角にあった。 |
京都市左京区吉田神楽岡町 |
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