鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



第8回鎌倉検定試験2級
《産業・生活の問題》

編集:yoritomo-japan.com







 産業・生活に関する記述について、最も適当なものを1〜4から選びなさい。


(71) 鎌倉市の姉妹都市はいくつあるか。

1  2 つ
3  4 つ
2  3 つ
4  5 つ


 2014年3月19日現在の鎌倉市のホームページによれば、「市民相互の友好を目的に山口県萩市、長野県上田市、栃木県足利市の国内3市、フランス・ニース市、中華人民共和国・敦煌市の海外2市と姉妹都市提携を結び、教育・文化・産業などの分野で交流を行っています」となっています。
 ただし、中華人民共和国の敦煌市との姉妹都市提携は、「友好都市」という別の名称で取り扱われているようです。したがってこの問題の答はこうなるのでしょうね。
 姉妹都市と友好都市の違いに明確な定義はありません(提携の目的は同じで名称の違いだけです。)。

答 3


リンクボタン姉妹都市
(鎌倉市ホームページ)



(72) 鎌倉に「相州伝」を完成させた刀鍛冶として知られる鎌倉時代末期の刀工,五郎入道正宗の屋敷があったと伝えられるのはどこの入口近くか。

1 釈迦堂ヶ谷
3 比企ヶ谷
2 佐助ヶ谷
4 松葉ヶ谷


 扇ガ谷1丁目にある刃稲荷の北側が五郎入道正宗の屋敷跡だったといわれています。
 佐助ヶ谷入り口には正宗の井もありました。
 正宗の十一代目の子孫は北条氏綱の一字をもらって「綱廣」と名乗り、無量寺ヶ谷に土地を与えられ、そこは綱廣谷と呼ばれるようになったのだといいます。
 葛原岡神社には、2013年(平成25年)、無量寺ヶ谷の綱廣の屋敷跡にあったという合鎚稲荷社が移されています。
 2017年(平成29年)、綱廣の屋敷跡には鎌倉歴史文化交流館が開館しています。

答 2


刃稲荷
リンクボタン刃稲荷
石鎚稲荷社
リンクボタン合鎚稲荷
(葛原岡神社)

鎌倉歴史文化交流館
リンクボタン歴史文化交流館
正宗工芸
リンクボタン正宗工芸



(73) 近年,鎌倉の名産品として人気を博しているシラスは,どのような漁で水揚げされているか。

1 巻き網漁
3 船曳網漁
2 定置網漁
4 刺し網漁


 しらすの漁法は、群れに網を入れ、その網を曳くというもの。

答 3


湘南しらす
リンクボタン湘南しらす







(74) 鎌倉の海水浴場で現在開設されていない場所はどこか。

1 材木座
3 稲村ヶ崎
2 由比ヶ浜
4 腰越


 鎌倉で海水浴が楽しめるのは由比ヶ浜材木座腰越
 2002年(平成14年)までは、七里ヶ浜にも開設されていたようです。

答 3


海水浴場
リンクボタン海水浴場



(75) 「大船軒」の経営者富岡周蔵にハムの製法を教えたのはどこの国の人か。

1 イタリア
3 イギリス
2 フランス
4 アメリカ


 鎌倉郡川上町(現在の横浜市戸塚区)に住んでいたイギリス人のウィリアム・カーティスからハムの製法が伝授されました。そして日本初のハム製造が開始されます。誕生したのが「鎌倉ハム」です。
 「鎌倉ハム」は、一つの企業の商品ではなく、ハムのブランドの一つとして、複数の企業がハム製造に携わっています。

答 3


大船軒の駅弁サンド
リンクボタン日本初の駅弁サンドイッチ



(76) 鎌倉彫について,次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。

 宋の工人陳和卿がもたらした彫漆工芸を真似て,運慶の弟子の快慶が仏具を作ったのが,鎌倉彫の始まりであると考えられている。
 造仏のために奈良から鎌倉に招かれた仏師たちが,宋文化に影響された須弥壇や前机,香合などの什器類も作り,それが鎌倉仏師にも受け継がれていった。
 室町時代になると,茶道の普及によって茶入,香合,香盆などの茶道具も「鎌倉物」として珍重され,江戸時代には,茶器,硯台など身近な調度品も作られるようになった。
 やがて鎌倉が別荘地,保養地として栄えるようになると,茶托,盆,菓子皿など,日用品としての需要も多くなり,今日の鎌倉彫の姿となった。


 鎌倉彫の元となったのは、宋から陳和卿が持ってきた彫漆工芸を運慶の子康運が真似たのを始まりとしているとされています。
 建長寺「須弥壇」円覚寺「前机」などの仏具がその代表です。

答 1


鎌倉彫再興碑
リンクボタン鎌倉彫再興碑
鎌倉彫会館
リンクボタン鎌倉彫会館



 産業・生活について、次の説明文の[   ]に最も適当なものを1〜4から選びなさい。


鎌倉に大企業が進出してきたのは,1936年(昭和11),〔 (77) 〕撮影所の移転が最初である。これを契機に〔 (78) 〕地区には大手企業や下請けの中小企業の工場が作られ,鎌倉は活性化した。
 戦後は,鎌倉市が1953年(昭和28)に〔 (79) 〕条例を設けたことで,工場が増えるようになった。〔 (78) 〕は,東海道沿線で,東京など各地の大都市への輸送の便がよかったことから,三菱電機や東洋化学,ナスステンレス,〔 (80) 〕など電気・機械,化学工業などの工場が作られた。


(77)
1 東宝
3 東映
2 日活
4 松竹

(78)
1 関谷
3 玉縄
2 大船
4 手広

(79)
1 工業振興
3 工場誘致
2 工業開発
4 環境開発

(80)
1 資生堂
3 ライオン
2 花王
4 P&G



(77) 4  (78) 2
(79) 3  (80) 1



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