鎌倉手帳(寺社散策)

正 宗 工 芸
〜鎌倉の伝統工芸〜

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正宗工芸


 「正宗工芸」は、名刀正宗で知られる鍛冶職人(刀工)、五郎入道正宗の技術を引き継いでいる。

 現在は、刃物や鉄工芸品の制作も行われ、鎌倉を代表する伝統工芸となっている。

 鎌倉時代には、幕府の招きにより多くの刀工が鎌倉に集まった。

 五郎入道正宗もその一人。

 正宗は、京の粟田口の刀工行光の子に生まれ、新藤五国光に師事し「相州伝」といわれる相模国独特の作風を完成させた。

 岡崎正宗あるいは岡崎五郎入道とも称される。


正宗工芸


包丁正宗
リンクボタン包丁正宗

 「包丁正宗」は、荏柄天神社に伝来した名刀。





刃稲荷
リンクボタン刃稲荷
正宗の井
正宗の井


葛原岡神社合鎚稲荷社
リンクボタン合鎚稲荷社

 2013年(平成25年)、葛原岡神社にある合鎚稲荷社は、正宗の子孫「綱廣」が住んでいた無量寺ヶ谷(綱廣谷)から移されたもの。


合鎚稲荷社跡
リンクボタン合鎚稲荷社跡
(鎌倉歴史文化交流館)



〜綱廣〜

 戦国時代に入り、関東の中心が小田原に移ると、商工民も小田原へと移り住んだ。

 しかし、正宗の子孫は鎌倉に住みつき、十一代目の子孫は北条氏綱の一字をもらって「綱廣」を名乗り、無量寺ヶ谷に土地も与えられたという(現在の佐助隧道がある谷)。

 徳川家康の時代となっても綱廣は無量寺ヶ谷に住み、やがてそこは綱廣谷と呼ばれるようになったというがその正確な場所は不明。

 その後代々「綱廣」と名乗り、現在は、二十四代目の綱廣(川村家)が正宗の伝統を継承している。


正宗24代末裔・綱廣による刀
正宗24代末裔・綱廣による刀
鎌倉歴史文化交流館



〜正宗の墓〜

 正宗という名は日蓮につけてもらったといわれている。

 龍ノ口法難によって佐渡に流されていた日蓮が、許されてこの地にあった夷堂に身を寄せていた頃、正宗の父行光が正宗とともに日蓮のもとを訪れ、教えを乞うたといわれている。


正宗の墓
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(本覚寺)
妙善寺正宗殿
リンクボタン正宗殿
(藤沢妙善寺)







七里ヶ浜
リンクボタン砂鉄の砂浜

 かつて、七里ヶ浜は砂鉄の採集場であった。

 特に極楽寺川、音無川の河口で砂鉄が多く採集できたという。

 そのため、鎌倉では刀などの鍛冶産業が発展したのだといわれている。



正宗の碑
正宗の碑
本覚寺)



リンクボタン鎌倉の産業



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