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| けぢかくて たれも心は 見えにけむ ことはへだてぬ ちぎりともがな |
| 「親しくなって私の思いもわかってもらえたでしょうから、できるなら隔てのない仲になりたい」 この歌は、それまで紫式部に手紙で求婚していた藤原宣孝が、直に話すようになって、お互いの気持ちを理解できるようになったときに詠んだもの。 |
| へだてじと ならひしほどに 夏衣 薄き心を まづ知られぬる |
| 「私は距離を置かない対応をしてきたのに、あなたの心の薄さがわかりました・・・」 宣孝の歌に対し、紫式部は反発的な歌を返しているが・・・ そこには「もっと深い心を示してください」という意味が込められているのだという。 この贈答歌は、紫式部が越前から帰京した998年(長徳4年)の夏の事と考えられる。 そして、この年に二人は結婚したといわれる。 |
| 峯寒み 岩間氷れる 谷水の ゆくすゑしもぞ 深くなるらむ |
| 「冬の峯は寒くて岩間の谷川も凍っていて浅いが、春になれば解けて深くなっていくでしょう」 宣孝との仲も深いものになって行くという紫式部の気持ちを詠んだ歌。 |
| 藤原宣孝は、996年(長徳2年)に越前国へ下向した紫式部のもとに求婚の手紙を贈り、その後も幾度となく手紙を書いていたらしい。 しかし、紫式部はその度に拒否の歌を返していた・・・ |
(越前市・紫式部公園) |
| 結婚後か結婚前かは諸説あるが、藤原宣孝が紫式部の文(手紙)を他の女(他の妻)に見せるという事件が起こる。 このとき、紫式部は文を返すよう宣孝に要求し、宣孝は全部返すと言っている。 当時、もらった文を返すという行為は「絶縁」を意味するものであったらしい・・・ |


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