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岡之屋形(岡辺の家)は、明石入道の娘・明石の君の屋敷。 歌碑は明石藩五代藩主の松平忠国が建立。 忠国は、明石が『源氏物語』の舞台となっていたことから、光源氏や明石入道の碑を建て、自作の和歌をそれに刻ませたのだという。 |
右大臣の娘・朧月夜との密通が露見したことで須磨に退いていた光源氏。 浜辺でお祓いをしていると、にわかに嵐となり、連日のように豪風雨が続く中、亡き父の桐壺帝が夢枕に現れ、住吉の神の導きに従い須磨を離れるように告げられる。 翌朝、住吉の神のお告げを受けて迎えにやってきた明石入道に連れられて、明石入道の浜辺の館に移った。 娘の明石の君の出世を願っていた明石入道は、光源氏に引き合わせることに。 光源氏は、心では都の紫の上を思いつつ、8月13日の名月の日に明石の君を訪れた。 明石の君の岡辺の家は、浜辺の館からは遠く入り込んだところにあったらしい。 庭木が多く趣向を凝らした屋敷で、明石入道の三昧堂が近くにあった。 光源氏は、鐘の音と松風が響きあい、庭の植え込みから虫の音が聞こえる中、明石の君を訪れた。 明石の君は、かつての愛人・六条御息所に似た美人だったが、紫の上が恋しい光源氏は、明石の君から離れていく。 しかし、朱雀院から赦免の宣旨が届くと、明石の君に惹かれ、毎夜岡辺の家に通うようになる。 明石の君は懐妊するが、光源氏は帰京してしまう。 |
光源氏は明石の君に恋文を送っているが、「『思ふには』とばかりありけむ」と描かれている。 『思ふには』は、『古今和歌集』の歌の引用。 |
思ふには…我慢できない恋心~古今和歌集の歌と光源氏の恋文~ |
住吉大社は、豪風雨に襲われた光源氏が祈った社。 |
善楽寺戒光院は明石入道の浜の館跡で、明石入道の碑や光源氏の明石の浜の松がある。 |
光源氏の月見の寺として知られる無量光寺山門前の「蔦の細道」は、光源氏が岡辺の家に通った道。 |
『源氏物語』~明石の巻~は、如意寺を再興した願西尼からの情報があって描かれたとう説がある。 |
兵庫県神戸市西区櫨谷町松本 明石駅から神姫バス西神中央駅前行 「松本」下車 |
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