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熱海・今宮神社
〜源頼朝の伝説〜


編集:yoritomo-japan.com








熱海:今宮神社


 今宮神社は、仁徳天皇の時代(313−399年)の創建と伝えられているが詳細は不明。

 和田地区20町の総氏神。

 伊豆に配流の身だった源頼朝は、伊東祐親に殺されそうになった折、走湯権現(現在の伊豆山神社)に逃れる途中、一杯水で喉の渇きを癒し、大楠の下にあった社に開運を祈願したと伝えられている。

 その社が今宮神社。

 その後も崇敬した頼朝は社殿を造営したのだという。


=祭神=

事代主神(ことしろぬしのかみ)
大国主神(おおくにぬしのかみ)









〜源頼朝の伝説〜

 『吾妻鏡』によると、1175年(安元元年)、伊東祐親源頼朝を殺そうとするが、祐親の次男祐清がそのことを頼朝に教えたため走湯権現に逃れることができたのだという。

 伝承では、祐親が頼朝を殺害しようとしたのは、頼朝が娘の八重姫と結ばれ、千鶴丸という男児を出産したことが原因といわれる。

 ただ、『吾妻鏡』には、八重姫と千鶴丸についての記録は残されていない。



伊東:音無神社
リンクボタン音無神社
(伊東市)
源頼朝の一杯水
リンクボタン源頼朝の一杯水
(熱海市)

 伊東市の音無神社は頼朝と八重姫が密かに会っていた場所と伝えられ、一杯水は祐親の手から逃れる途中の頼朝が休息した場所だという。



八重姫





熱海:今宮神社
恵比寿神と大黒天

 事代主神は恵比寿神、大国主神は大黒天と同一視されてきた神。



熱海:今宮神社
大楠と降臨の社





〜熱海と北条氏〜

 『吾妻鏡』によると、鎌倉幕府の初代執権となった北条時政は上総介平直方の五代の孫とされている。

 直方の子聖範は、伊豆山神社の僧で阿多見禅師と呼ばれていたらしい。

 北条氏の系図には諸説あるが、聖範から続く時方が伊豆山から和田に移って和田四郎大夫を名乗り、さらに、時方かその子が韮山に移って北条を名乗ったのだという説がある。

 和田に移った時方は、聖範の子とも孫ともいわれ、時政の父とも・・・

 リンクボタン鎌倉北条九代



伊豆山神社(熱海市)
リンクボタン伊豆山神社








歴史めぐり源頼朝




熱海:今宮神社
今宮神社

静岡県熱海市桜町3−29

JR伊東線「来宮駅」から
徒歩20分
JR東海道線「熱海駅」からバス「小嵐」下車
徒歩3分


熱海と源頼朝の伝説


〜熱海・頼朝MAP〜
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源頼朝配流の地・北条氏発祥の地
(伊豆の国市)

北条の里〜頼朝・時政・政子をめぐる〜
(伊豆の国市)

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