鎌倉手帳(寺社散策)

源氏ボタルよりともくん『鎌倉殿の13人』2022年大河ドラマ  戌神将二代執権 北条義時

歴史めぐり源頼朝
〜持仏堂の建立〜







 1189年(文治5年)7月18日、源頼朝は、伊豆山権現の專光坊良暹を呼び出し、御所の裏山に奥州征伐の祈願所を設けて、頼朝の守り本尊である「二寸銀の正(聖)観音像」を安置して祈ることを命じています。

 これが頼朝の持仏堂で、頼朝亡き後には法華堂と呼ばれます。

 安置された正観音像は、1180年(治承4年)の挙兵の際に、頼朝が髷に入れていたという観音像で、頼朝が三歳のときに京都清水寺から下されたものだったといいます。

 石橋山の敗戦後、山中の洞窟に置いて逃げますが、12月25日、專光坊良暹の弟子僧が見つけて頼朝に届けられていました。


源頼朝墓(鎌倉市)
リンクボタン源頼朝墓
(鎌倉市)

 死後、持仏堂に葬られた頼朝。

 現在、持仏堂があった場所には、江戸時代に薩摩藩の島津重豪(しまづしげひで)によって多層塔が建てられています。


しとどの窟(湯河原町)
リンクボタンしとどの窟
(湯河原町)

 しとどの窟は、石橋山の敗戦後、山中に逃れた頼朝が隠れ潜んだという洞窟。


伊豆山神社(熱海市)
リンクボタン伊豆山神社
(熱海市)
清水寺(京都市)
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(京都市東山区)


リンクボタン観音信者だった源頼朝〜守り本尊は清水寺から授かった正(聖)観音像〜






〜北条時政も奥州征伐の成功を祈願〜

 頼朝伊豆山権現の專光坊良暹を呼び出して持仏堂の建立を命じた日、北条時政も奥州征伐の成功を祈願するため、伊豆国の北条郷に寺の建立を思いついたのだそうです。

 建てられた寺が運慶の諸像を安置する願成就院です。


願成就院
リンクボタン願成就院




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