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東 昌 寺
〜鎌倉東勝寺と逗子東昌寺〜

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逗子東昌寺


 逗子市池子の東昌寺(高野山真言宗)は、鎌倉葛西ヶ谷にあった東勝寺がそのはじまりとされている。

 1333年(元弘3年)、新田義貞稲村ヶ崎を突破し鎌倉に攻め入ったことにより、東勝寺では、北条高時以下870余人が自刃した。

 当時の東勝寺の住職信海和尚は、本尊の大日如来像を救い出し、池子の地に東勝寺を再建したという。

 そして、この大日如来像は、源頼朝が平家亡霊の成仏祈願のために造立させたものだったと伝えられている。

 江戸時代に入ると池子は、英勝寺の支配下となったため、水戸家への遠慮から、寺名の「勝」の字を「昌」の字に改めたという。


 東昌寺の近くの神明社源頼朝の創建と伝えられ、1177年(治承元年)、頼朝が密かに三浦に向かったときの伝説が残されている。


水戸御殿と呼ばれた英勝寺(okadoのブログ)








東昌寺阿弥陀堂
阿弥陀堂

 1221年(承久2年)、北条政子は、三代将軍源実朝の菩提を弔うために運慶に丈六阿弥陀如来像を彫らせ、池子の大上阿弥陀ヶ谷に建立した阿弥陀堂に祀ったと伝えられている。

 池子が英勝寺の支配下に入ると、命令によって阿弥陀堂が東昌寺に移された。

 現在安置されている木造阿弥陀如来坐像は、1756年(宝暦6年)、扇ヶ谷の仏師三橋宮内忠之によって造立されたもの。

 市の重要文化財に指定されている。


東昌寺五輪塔
五輪塔

 鎌倉幕府政所の執事を務めた二階堂行盛(行然)の墓とされている。

 行盛は、文官御家人として源頼朝に仕え、源頼家の時代には十三人の合議制の一人ともなった二階堂行政の孫。

 もとは、行盛の開基といわれる慶増寺(葉山市)にあった。

 安山岩製で、地輪には「沙弥行心帰寂 乾元二年(1303年)癸卯七月八日」と刻まれている。

 国の重要文化財に指定されている。







歴史めぐり源頼朝



逗子東昌寺
東昌寺

逗子市池子2−8−33

京急神武寺駅下車より徒歩3分



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