中世歴史めぐり


賤ヶ岳の七本槍

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賤ヶ岳


 賤ヶ岳の七本槍とは、 1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉方で功名をあげた七人の武将。



脇坂安治
(わきさかやすはる)

 脇坂氏は、近江浅井郡脇坂庄(現在の長浜市)の氏族。

 脇坂安治は脇坂氏の祖とされるが、父安明以前の系譜は定かではない。

 浅井長政に仕えていたが、1573年(天正元年)の小谷城の戦いで長政が滅亡後は明智光秀に仕えた。

 のちに羽柴秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは戦功により山城国に3000石が与えられている。

 その後、大和高取2万石、3万石の淡路洲本3万石の城主に。

 小田原攻めや朝鮮出兵でも奮戦。

 関ヶ原の戦いでは東軍に加わり、本領を安堵されている。

 伊予大洲に転封された後、1615年(元和元年)に隠居し、1626年(寛永3年)8月6日、京都で死去。



片桐且元
(からぎりかつもと)

 片桐氏は、平安時代後期に信濃国伊那郡片切郷(現在の長野県下伊那郡)に興った片切氏の一族。

 片切氏は、源為公が伊那郡に土着したことに始まる氏族で、源満快を祖とする伊那源氏。

 為公の母が河内源氏の祖源頼信の娘であったことから、源義家・源為義・源義朝源頼朝に仕えた。

 片切氏は、信濃の他にも美濃国・遠江国・近江国にも支族が進出し、近江国に移った分家が「片切」から「片桐」に改めたのだといわれている。

 片桐且元は北近江の戦国大名・浅井氏に仕えた片桐直貞の子。

 小谷城の戦いで浅井長政が滅亡すると、且元は長浜城主となった羽柴秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは摂津国に3000石を与えられた。

 のちに5800石を加増され1万石の大名となり、秀吉亡き後は秀頼の後見を務めた。

 関ヶ原の戦い後は徳川家康の信任を得て、1万8000石の加増を受けて大和竜田城主となったが、方広寺鐘銘事件では秀頼と淀殿からに家康への内通を疑われ、大坂城から追放されてしまう。

 大坂の陣では大坂城攻めに加わり、4万石を領することになったが、豊臣家滅亡から20日後の1615年(慶長20年)5月28日死去。 



平野長泰
(ひらのながやす)

 平野氏は、鎌倉幕府の執権北条氏の庶流・北条惟時の子孫とされ、尾張国中島郡平野村を領した氏族。

 桓武平氏直方流。

 平野長泰は、父長治が羽柴秀吉の家人だったことから、若いうちから秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは河内国に3000石を与えられた。

 のちに2000石加増され、大和国十市郡田原本5000石の知行を与えられた。

 関ヶ原の戦い後は徳川秀忠に仕えている。



福島正則
(ふくしままさのり)

 福島氏は、清和源氏を称していたようだが、福島正則の父は尾張国の桶屋であったといわれ、母は羽柴秀吉の叔母なのだという。

 幼少時より秀吉に従い、賤ヶ岳の戦いでは5000石を与えられた。

 小牧・長久手の戦い、九州征伐、小田原征伐などで活躍。

 関ヶ原の戦いでは徳川方に属して安芸広島城主となったが、城修築でとがめをうけ、所領を没収された。



加藤清正
(かとうきよまさ)

 加藤氏は、藤原氏の一族。

 清正は藤原道長流の子孫。

 母が羽柴秀吉の母と従姉妹であった関係で、長浜城主となった秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは3000石を与えられた。

 その後も戦功を立てて肥後熊本城主となり、文祿・慶長の役では朝鮮出兵の先がけとなって名を馳せた。

 関ヶ原の戦いでは徳川方に属して肥後一国を受領。


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糟屋武則
(かすやたけのり)

 糟屋氏は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけて相模国大住郡糟屋荘(現在の伊勢原市)を本拠としていた豪族。

 糟屋武則は、源頼朝に仕えた糟屋有季の子孫。

 別所長治の家臣だったが、のちに羽柴秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは播磨国加古郡に2000石、河内国河内郡に1000石を与えられた。

 方広寺大仏の作事奉行を務めている。

 関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、所領を没収されている。



加藤嘉明
(かとうきよしあき)

 加藤嘉明は、藤原利仁の子孫。

 嘉明の祖父朝明は、甲斐の武田氏の家臣だったが、三河国に移って松平清康松平広忠に仕えたとされる。

 父の教明は、松平元康(徳川家康)に仕えた後、尾張の織田家に仕え、羽柴秀吉の家臣となったのだという。

 賤ヶ岳の戦いでは3000石が与えられ、九州征伐、小田原征伐、文禄の役・慶長の役に従軍。

 関ヶ原の戦いでは徳川方に属して、伊予松山城主、のちに会津若松城主となった。





賤ヶ岳の戦い


小牧・長久手の戦い










賤ヶ岳の戦い



賤ヶ岳
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JR余呉駅下車
岩崎山登山口から登山道を約2時間。

JR木ノ本駅下車
賤ヶ岳リフトまで徒歩30分。
リフト山頂駅まで6分。
山頂駅から山頂まで約10分。



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