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| 巽神社は、801年(延暦20年)、征夷大将軍に任ぜられ蝦夷征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が葛原ヶ岡に勧請したのを始まりとする。 1049年(永承4年)には源頼義が改修したと伝えられている。 壽福寺が創建されると境内に鎮守として祀られたが、のちに現在の地に遷座された。 壽福寺の巽(南東)の方角にあることからこの名が付けられたのだという。 1841年(天保12年)に成立した『新編相模国風土記稿』には、元は壽福寺の鎮守だったが、今は浄光明寺持であることが記されている。 |
| 奥津日子神 (おきつひこのかみ) 奥津日女神 (おきつひめのかみ) 火産霊神 (ほむすびのかみ) |
| 奥津日子神と奥津日女神は、日本神話に登場する竈の神、火産霊神は火の神。 |

| 諏訪社(諏訪神社)の総本社は諏訪大社。 巽神社は諏訪大社を勧請して建立された横須賀の諏訪神社に管理されているのだとか。 |



| 手洗石には寛文12年(1672年)、石灯篭には元禄10年(1697年)銘のある。 もとは鶴岡八幡宮の境内にあったものらしい。 |
| 坂上田村麻呂の蝦夷討伐 |
| 801年(延暦20年)、坂上田村麻呂は、蝦夷討伐を行い、翌802年(延暦21年)、指導者のアテルイとモレを降伏させた。 |
![]() (京都清水寺) |
![]() (岩手県平泉町) |
| 坂上田村麻呂は、アテルイ・モレの助命を願ったが叶わず処刑されたのだという。 平泉の達谷窟毘沙門堂は、蝦夷討伐の際に坂上田村麻呂が建てたという堂。 |
| 京都の清水寺は、坂上田村麻呂が建てた寺。 本尊は十一面千手観世音菩薩。 脇侍は、千手三尊の基本とは異なる地蔵菩薩と毘沙門天。 これには、坂上田村麻呂の蝦夷討伐での伝説が関係している! |
| 源頼義と鎌倉 |
| 源頼義は、河内源氏の二代目棟梁。 頼義は、1028年(長元元年)に起こった平忠常の乱を鎮圧した後、平直方に気に入られ、直方の娘を妻とし、鎌倉の大蔵邸を寄進された。 以後、鎌倉は河内源氏の東国支配の拠点となった。 |
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(鎌倉) |
| 大阪羽曳野市の壺井八幡宮は、河内源氏の本拠地に源頼義が源氏の氏神・石清水八幡宮を勧請して創建した社。 材木座の由比若宮(元八幡)も源頼義による創建。 |

| 今小路(勝ノ橋〜六地蔵) 鎌倉:巽神社と坂上田村麻呂 |

| 鎌倉市扇ガ谷1−9−7 鎌倉駅西口から徒歩10分 |
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