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光則寺(こうそくじ)は、五代執権北条時頼の家臣宿谷光則の自邸があった所。 1271年(文永8年)、極楽寺の忍性らに訴えられ逮捕された日蓮が佐渡に流される折(龍ノ口法難)、ともに捕らえられた弟子の日朗を監視する任に就いたのが宿谷光則だった。 光則は、弟子の身を案ずる日蓮に心を打たれ、のちに帰依し、自邸を寺にしたのだと伝えられる(1274年(文永11年)頃)。 裏山には日朗が幽閉された土牢があって、その傍らには日蓮が日朗に送ったといわれる手紙「土牢御書」(土籠御書)の石碑が建てられている。 |
開山 | 日朗 |
開基 | 宿谷光則 |
光則寺を開いた日朗は、實相寺を開いた日昭や、ぼたもち伝説で知られる桟敷の尼の夫印東祐信の甥(参考:常栄寺)。 日蓮の六老僧の一人に数えられ、日蓮入滅の霊場池上本門寺の基礎を築いた。 安国論寺には日朗の荼毘所が、法性寺には日朗の墓がある。 |
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![]() ![]() と日蓮の御書 |
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![]() の土牢 |
光則寺は「花の寺」として人気。 中でも本堂前のカイドウは天然記念物に指定され、「カイドウの寺」とも呼ばれている。 初夏には鉢植えのヤマアジサイが境内に並べられる。 |
光則寺に咲く花をご紹介。 |
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鎌倉市長谷3−9−7 0467(22)2077 江ノ電「長谷駅」から徒歩8分。 |
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