![]() |
|
|
| 二宮明神社とも呼ばれる川勾神社(かわわじんじゃ)は、垂仁天皇の時代の創建と伝えられ、師長国(しなが)の一之宮だった社。 646年(大化2年)に発布された改新の詔によって、相武国と師長国が統合されて相模国となった際、一之宮の地位を寒川神社に譲ったのだという。 大磯町の神揃山で行われる「国府祭」(こうのまち)は、両国の一之宮だった寒川と川勾がその座をめぐって争ったという故事にちなむもの。 1192年(建久3年)、源頼朝が妻北条政子の安産祈願のため神馬を奉納。 1252年(建長4年)には、鎌倉に下向した宗尊親王の将軍事始の儀で神馬が奉納されたといわれ、鎌倉武士団からの崇敬が深かった。 戦国時代には、小田原北条氏が崇敬し、小田原城の鬼門除の守護神として保護されてきた。 徳川家康は、1591年(天正19年)の朝鮮出兵(名護屋出陣)の際に祈祷札を献上されたことで、御朱印地50石を寄進しているのだとか。 以後、徳川将軍家の崇敬を受け、正月には宮司が江戸城へ登城して御祓札を献上するのが例となり、幕末まで続いたのだという。 |
| 大名貴命(おおなむじのみこと) 大物忌命(おおものいみのみこと) 級長津彦命(しなつひこのみこと) 級長津姫命(しなつひめのみこと) 衣通姫命(そとほりひめのみこと) |
| 江戸時代には八幡神も祀られていたのだとか。 これには、鎌倉幕府や関東管領が信奉した鶴岡八幡宮の影響があったと考えられている。 現在は、境内社の東五社の一柱として八幡大明神が祀られている。 |
| 相模国一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚八幡宮と、相模国総社といわれた六所神社の神輿が一堂に集う祭。 毎年5月5日の端午の節句に行われている。 |
| 国道1号線の川勾神社入口交差点にある茶屋の薬師堂に安置されている薬師如来坐像は、像高261.5pという大きなもので、かつては川勾神社の本地仏だった。 明治の神仏分離によって川勾神社より分離されている。 |

| 川勾神社参道の切通にある地蔵尊。 かつての切通は道が悪く、子どもがよく転んだが怪我はなく、着物の袖が切れるくらいだったのだという。 そこで、感謝のために袖を切って奉納したのだとか。 |
| 吾妻山公園には6万株の早咲きの菜の花が植えら、1月から2月にかけて見ごろを迎える。 恒例のイベント「菜の花ウォッチング」では、知足寺と川勾神社で雛飾り展が開催される。 |

| 随神門の木造神像は、千年あまりも前のものと推定されている。 |
| 神奈川県中郡二宮町山西2122 JR東海道線「二宮駅」南口から 中井町役場入口行きバス「押切坂上」下車徒歩15分 【二宮町コミュニティバス】 「二宮駅」北口から「川勾神社入口」下車徒歩5分(平日のみ運行) |
| 大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |

![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
|