鎌倉手帳(寺社散策)

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平塚八幡宮
〜源頼朝ゆかりの神社〜

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平塚八幡宮


 平塚八幡宮は、360年(仁徳天皇68年)に仁徳天皇の勅願により応神天皇を祭神として創建されたという。

 相模五社の一つ五之宮ともいわれ、聖武天皇の時代には「一国一社の八幡宮」と称されていたという。

 1192年(建久3年)、源頼朝北条政子の安産祈願のため神馬を奉納した祈願所の一つに八幡宮の名があるが、平塚八幡宮だと考えられる。


祭神

応神天皇
(おうじんてんのう)
神功皇后
(じんぐうこうごう)
武内宿禰命
(たけうちのすくねのみこと)





 五之宮については有鹿神社も参考に。

 国分寺の総本山奈良の東大寺の鎮守が手向山八幡宮だったことから、各地の国分寺または国府の鎮守も八幡宮とされていたという。


リンクボタン海老名の七重塔〜相模国分寺〜

リンクボタン北条政子の安産祈願所





〜国府祭〜

 昔、相模国は、相武国と師長国とに分かれていたが、大化の改新以後は統合されて一つの国となった。

 毎年5月5日の端午の節句に大磯町の神揃山で行われる「国府祭」(こうのまち)は、相武国の一之宮だった寒川神社と師長国の一之宮だった川勾神社がその座をめぐって争ったという故事にちなむもので、一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社平塚八幡宮と、相模国総社といわれた六所神社の神輿が一堂に集う。


リンクボタン相模国六社〜相模国府祭〜








歴史めぐり源頼朝




平塚八幡宮
平塚八幡宮

平塚市浅間町1−6

JR東海道線「平塚駅」北口から徒歩10分


聖武天皇が発した国分寺建立の詔と相模国分寺(okadoのウログ)





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