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京都:百萬遍知恩寺

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百萬遍知恩寺


 百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)は、賀茂神社(上賀茂神社下鴨神社)の神宮寺として現在の相国寺付近にあった「賀茂の禅坊」を前身としている。

 「賀茂の禅坊」は、浄土宗を開宗した法然が念仏を説いた所といわれている。

 1212年(建暦2年)、法然入滅後、弟子の源智が知恩寺と名付け、1331年(元弘元年)、京都に疫病が蔓延した折、後醍醐天皇の勅命により、七日七夜の百万遍念仏を唱えたところ疫病が治まったことから「百萬遍」の号が下賜された。
 

 1382年(弘和2年/永徳2年)、相国寺が建立される際に一条小川に移転。

 1467年(応仁元年)の応仁の乱で焼失。

 その後も度重なる戦乱により焼失と再建を繰り返し、1592年(天正20年)、豊臣秀吉の寺地替えにより土御門に移転(現在の梨木神社近く)。

 そして、1662年(寛文2年)に現在の北白河に移転した。


 1600年(慶長5年)の伏見城の戦いで討死した徳川家康の家臣・鳥居元忠の墓がある。



リンクボタン鳥居元忠〜伏見城で討死にした三河武士の鑑〜





百萬遍知恩寺御影堂
御影堂


百萬遍知恩寺阿弥陀堂
阿弥陀堂


百萬遍知恩寺釈迦堂
釈迦堂





下鴨神社・河崎社
リンクボタン河崎社

 下鴨神社河崎社は知恩寺から遷された社で、2015年(平成27年)、式年遷宮事業の一環として再興された。

 なお、知恩寺の境内には今も鴨神社が祀られている。





浄土宗最初の寺
金戒光明寺山門
リンクボタン金戒光明寺
浄土宗総本山
知恩院三門
リンクボタン知恩院


 1523年(大永3年)、知恩寺二十五世・慶秀と知恩院二十五世・存牛との間で本寺争いとなったが知恩寺は敗れてしまったのだという。

 知恩院の存牛は、三河国松平郷を本拠とした松平氏の四代目・親忠の子で、松平郷にある松平氏の菩提寺・高月院を中興した僧。

 参考までに、徳川家康は松平氏九代目といわれている。










百萬遍知恩寺
百万遍知恩寺

京都市左京区田中門前町103

・京都駅より市バス《206系統》《17系統》百万遍下車
・地下鉄烏丸線今出川駅より市バス《201系統》《203系統》百万遍下車
・京阪電車京都線「出町柳駅」下車 徒歩10分
・阪急電車京都線「四条河原町駅」下車 市バス《3系統》《17系統》《201系統》にて百万遍下車



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