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慈受院
源氏物語ゆかりの薄雲御所


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慈受院


 慈受院(じじゅいん)は、1428年(正長元年)、室町幕府四代将軍足利義持の正室・日野栄子が皇室の菩提を弔うために創建したと伝えられる。

 寺名は栄子の法号「慈受院淨賢竹庭尼大禅師」に由来。

 創建以来、皇室・足利将軍家・近衛家・花山家より住持が入山した門跡寺院。

 曇華院・総持院と並んで尼五山の第二位通玄寺の三子院の一院として、相国寺所管の比丘尼御所の一つとして栄えたが、やがて廃絶。

 1919年(大正8年)、総持院を併合して現在地に再興されたのだという。

 山号は広徳山。

 本尊は釈迦如来。 





〜薄雲御所〜

 廃寺になる前の慈受院は、藤原道長が建てた法成寺の跡地にあったのだという。

 そのため、紫式部『源氏物語』ゆかりの寺院とされている。

 「入日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる」

 この歌は、『源氏物語』〜薄雲の巻〜で光源氏が詠んだ藤壷中宮への哀悼歌。

 薄雲御所の号は後桜町天皇より贈られたものなのだという。




法成寺址
リンクボタン法成寺址碑

 法成寺は、藤原道長が自邸の土御門殿の東側に創建した寺院。

 境内には紫式部が仕えた藤原彰子の東北院もあった。



京都:蘆山寺
リンクボタン廬山寺

 法成寺の北側には、紫式部の邸宅もあった。

 蘆山寺はその邸宅跡とされている。





慈受院毘沙門堂
毘沙門堂

 慈受院の毘沙門天像は、後小松天皇の念持仏とされる。

 両脇に毘沙門天の妻とされる吉祥天と子とされる善膩師童子を従える珍しい像。










慈受院
慈受院

京都市上京区寺之内掘川東入百々町540



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