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北里柴三郎と
コッホと鎌倉

〜新千円札の顔と稲村ヶ崎〜

編集:yoritomo-japan.com








新千円札


 2024年(令和6年)7月3日発行予定の新千円札の肖像は北里柴三郎。

 北里柴三郎は、東京帝国大学医学部を卒業後、ドイツに留学して細菌学者のロベルト・コッホに師事。

 破傷風血清療法の確立、ペスト菌の発見のほか、伝染病研究所、北里研究所を創立して後進の育成にも尽力しました。



ロベルト・コッホ碑
リンクボタンロベルト・コッホ記念碑


 1908年(明治41年)、北里は師のコッホを日本に招待。

 その記念に建てられたのが稲村ヶ崎のコッホの記念碑。



鎌倉海浜院・鎌倉海浜ホテル跡
リンクボタン鎌倉海浜ホテル


 6月12日、コッホは横浜港に到着。

 7月3日、9時に新橋を発って鎌倉海浜ホテルへ。

 鎌倉海浜ホテルは、1887年(明治20年)、長与専斎によって開院された我が国最初の海浜サナトリウム・鎌倉海浜院(結核療養所)が始まり。

 2年後にホテルとして改造され、コッホが来日したときの支配人は、コッホがアフリカに遠征した時のボーイ長だった。

 7月4日、横浜の米国独立祭を見物。

 7月5日からは魚釣りなどを楽しみながら静養。

 陸奥宗光夫人や長与専斎夫人が世話をしたらしい。

 7月26日まで鎌倉に滞在し、その後、箱根や奈良・京都・大阪などを巡ったコッホは、8月24日、横浜港から帰国。

 鎌倉海浜ホテルのメイドだった村木きよは、北里の要請によりコッホ家に勤め、1910年(明治43年)、コッホの死を看取って帰国したのだという。





新一万円札


 新一万円札の顔は、近代日本経済の父と呼ばれた渋沢栄一



新五千円札


 新五千円札の顔は、津田塾大学を創設した津田梅子。

 津田梅子は鎌倉で亡くなっている。





日本紙幣発祥の地は・・・
紫式部が下向した越前


 1868年(慶応4年)に発行された日本初の全国通用紙幣「太政官札」に使用されたのは越前和紙。

 紙幣の「透かし」は越前和紙の技法の一つで、現在の紙幣にも使われている特殊な技術。

 『源氏物語』を書いた紫式部も使ったのかも・・・



岡太神社
リンクボタン岡太神社
越前和紙の里
リンクボタン越前和紙の里


 岡太神社は、紙祖神の川上御前を祀る古社。

 越前和紙の里では、紙漉き体験・伝統工芸士による紙漉き・越前和紙の資料展示などが催されている。



下向行列
リンクボタン紫式部下向行列
越前和紙の洞窟
リンクボタン越前和紙の洞窟


 「紫ゆかりの館」に置かれている紫式部下向行列の人形・馬・調度などは越前和紙で作られている。

 「光る君へ 越前 大河ドラマ館」が設置されている「しきぶきぶんミュージアム」には越前和紙の洞窟が設けられている。



紫式部と越前国 越前下向:紫式部が通った道










稲村ヶ崎
リンクボタン稲村ヶ崎

 稲村ヶ崎は新田義貞の龍神伝説で知られている古戦場。
 尋常小学校の唱歌「鎌倉」にも「七里ヶ浜の磯づたい稲村ヶ崎名将の剣投ぜし古戦場」と歌われている。

江ノ電「稲村ヶ崎駅」から徒歩5分



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稲村ヶ崎・極楽寺・坂ノ下
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