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渋沢栄一は、埼玉県出身の実業家。 1840年(天保11年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)で誕生。 若き日の栄一は討幕を志し、1863年(文久3年)、尾高惇忠らと高崎城の襲撃や横浜外人居留地の焼討ちを計画するが、惇忠の弟長七郎の説得により中止。 この年、武蔵国榛沢郡北阿賀野村の桃井可堂は、挙兵に失敗して自害している。 1864年(元治元年)、京都に出て一橋慶喜に仕官。 1867年(慶応3年)、万国博覧会視察のためフランスへ渡る徳川昭武(慶喜の弟)に随行してパリへ。 博覧会後もパリに滞在したが、大政奉還のため翌年帰国。 パリで欧州諸国の実情に触れた栄一は、1869年(明治2年)、明治新政府の大蔵省に入省し、財政・金融制度などを立案に携わった。 1872年(明治5年)、富岡製糸場設立。 1873年(明治6年)に大蔵省退官。 その後は、第一国立銀行をはじめ、王子製紙・大阪紡績など500以上の企業設立に関与した。 社会公共事業にも取り組み多くの功績を残している。 1931年(昭和6年)11月11日、東京府下北豊島郡滝野川村元西ヶ原の王子飛鳥山邸で死去(享年92歳)。 墓碑は谷中霊園にある。 「青淵」(せいえん)と刻まれているが、青淵は栄一の雅号。 |
旧渋沢邸 (深谷市) |
飛鳥山邸跡 (飛鳥山公園) |
旧渋沢邸(中の家)は、渋沢栄一の生誕地。かつて谷中霊園にあった碑が移されている。 飛鳥山邸は、晩年の栄一が本邸とした。 |
渋沢栄一が日本橋兜町に創設した日本最古の銀行・第一国立銀行があった場所。 兜町の東京証券取引所は、栄一らの出願により発足した東京株式取引所を前身とする。 |
渋沢栄一が創建に関わった明治神宮は、2020年(令和2年)で創建100年を迎えた。 |
渋沢栄一生誕地の中の家の裏には青淵由来の碑が建てられている。 |
谷中霊園には、渋沢栄一が仕えた徳川慶喜の墓もある。 慶喜の葬儀は、栄一が葬儀委員長を務めて執り行われた。 |
谷中霊園には、天王寺墓地と寛永寺墓地も含まれ、谷中墓地とも呼ばれる。 東京都台東区谷中7丁目 |
東京都台東区上野桜木1−14−11 |
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