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源頼朝に褒められた北条義時
頼朝の浮気事件から生まれた
信頼関係

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 『吾妻鏡』によると・・・

 1182年(養和2年)3月、北条政子が懐妊。

 すると、源頼朝伊豆国の流人の頃からの愛人・亀の前を鎌倉に呼び寄せて寵愛。

 8月12日、万寿(のちの頼家)が誕生。

 10月17日、政子と万寿は産所の比企邸から御所に戻ってきたのだが・・・

 政子を待っていたのは頼朝の浮気情報!

 北条時政の後妻牧の方が話したのだという。

 怒った政子は、11月10日、亀の前が預けられていた伏見広綱の屋敷を牧宗親に命じて打ち壊した。

 頼朝は・・・

 11月12日に宗親を詰問し、陳謝する宗親の髻(もとどり)を切ってしまう(宗親は、牧の方の父(兄とも))。

 これに怒ったのが北条時政

 11月14日、伊豆国へ引き上げてしまった。

 この時、「子の義時は父が国許へ引き上げても従わずにいるのではないか」と思った頼朝は、梶原景季を呼んで確かめてくるよう命じた。

 半時ほどして戻ってきた景季が、義時が残っていることを報告すると、もう一度景季を行かせて義時を呼び出した。

 参上した義時に頼朝は、藤原邦通を通じてこう伝えた。

 「宗親がはなはだ奇怪な事件を起こしたので罰したら、北条時政は怒って伊豆へ帰ってしまった。

 我が意に反した行為である。

 ただ汝は我が意を汲んで、国許へ下がることをしなかった。

 特に感じ入った。

 我が子孫を守ってくれることであろう。

 この手柄の褒美を後日与える」

 義時は特に良し悪しを言わずに、承る旨だけを伝えて引き上げていったのだとか・・・。


 時政がいつ鎌倉に戻ったのかは不明。

 頼朝は、この後も懲りずに浮気を続けていた・・・


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