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藤 原 兼 子

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 藤原兼子(ふじわらのけんし)は、刑部卿・藤原範兼の娘。

 姉の範子とともに後鳥羽上皇の乳母を務めた。
 
 通称は卿局(きょうのつぼね)。





 1202年(建仁2年)、これまで権勢をふるっていた源通親(土御門通親・正室は兼子の姉範子)が亡くなると、後鳥羽上皇の側近として権勢をふるうようになる。

 1218年(建保6年)、将軍源実朝の後継者の相談のため北条政子が上洛すると、自らが養育係を務めた後鳥羽上皇の皇子頼仁親王を推している。

 頼仁親王の母は実朝の正妻坊門姫の姉妹。

 この年、政子は従二位まで昇るが、兼子の後押しがあったのだという。

 しかし翌年、実朝が暗殺されたことで親王将軍の実現はならなかった。

 さらに、1221年(承久3年)の承久の乱で後鳥羽上皇が配流されると権勢は衰え、1229年(寛喜元年)8月16日、失意のうちに亡くなった(75歳)。



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源実朝の暗殺

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