鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉検定 鎌倉の紅葉



藤 原 兼 子

編集:yoritomo-japan.com








 藤原兼子(ふじわらのけんし)は、刑部卿・藤原範兼の娘。

 姉の範子とともに後鳥羽上皇の乳母を務めた。
 
 通称は卿局(きょうのつぼね)。





 1202年(建仁2年)、これまで権勢をふるっていた源通親(土御門通親・正室は兼子の姉範子)が亡くなると、後鳥羽上皇の側近として権勢をふるうようになる。

 1218年(建保6年)、将軍源実朝の後継者の相談のため北条政子が上洛すると、自らが養育係を務めた後鳥羽上皇の皇子頼仁親王を推している。

 頼仁親王の母は実朝の正妻坊門姫の姉妹。

 この年、政子は従二位まで昇るが、兼子の後押しがあったのだという。

 しかし翌年、実朝が暗殺されたことで親王将軍の実現はならなかった。

 さらに、1221年(承久3年)の承久の乱で後鳥羽上皇が配流されると権勢は衰え、1229年(寛喜元年)8月16日、失意のうちに亡くなった(75歳)。



リンクボタン北条政子の上洛と将軍継嗣問題


源実朝の暗殺

承久の乱


後鳥羽上皇










2022年のNHK大河ドラマは・・・
北条義時!

鎌倉殿の13人

二代執権北条義時

宿老13人の合議制


歴史めぐり源頼朝





中世歴史めぐり

葵祭 祇園祭

奈良・京都





鎌倉検定 鎌倉の紅葉


紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


徳川家康 日光東照宮