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仁科盛遠の所領を没収した北条義時
〜承久の乱〜

編集:yoritomo-japan.com








 仁科盛遠は、信濃国安住郡仁科荘の住人。

 『北条九代記』によると・・・

 盛遠が息子の太郎とともに熊野詣をした際、ちょうど後鳥羽上皇も熊野に参詣していたのだという。

 太郎はたいそうさわやかな童であったので、後鳥羽上皇は召し抱えることに。

 盛遠は

 「我が子が院から召されることは大変な名誉」

 として、太郎とともに院御所に参上して西面の武士として仕えたのだという。

 しかし・・・

 北条義時は、

 「幕府に仕える御家人が許しもなく院中に仕えている事は理解に苦しむ」

 として、盛遠の二ヶ所の領地を没収。

 盛遠の訴えによって後鳥羽上皇が土地を返すよう院宣を下したが、義時は聞き入れなかったのだという。

 その後、盛遠は・・・

 1221年(承久3年)、後鳥羽上皇が北条義時追討のため兵を募ると、盛遠は朝廷方に付き、幕府軍の北陸道の大将軍・北条朝時と戦って討死している(承久の乱)。





〜承久の乱の一因〜

 盛遠の所領が没収されたのと同じ頃、後鳥羽上皇は摂津国の長江・倉橋両荘の地頭職改補を要求する院宣を下しているが・・・

 義時は、この要求を拒絶している。

 この二つの事件は、2年後に起こる承久の乱の一因となった。



リンクボタン後鳥羽上皇の地頭職改補の要求を拒絶した北条義時


リンクボタン北条義時追討の官宣旨案
(神奈川県立歴史博物館(原本:個人蔵))

リンクボタン北条義時追討の宣旨
(『承久記』(流布本))

リンクボタン北条義時追討の院宣
(『承久記』(慈光寺本))

リンクボタン北条義時追討の宣旨に対する返書









承久の乱

 承久の乱は、後鳥羽上皇が起こした打倒北条義時の兵乱。

 後鳥羽上皇方の敗北により、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇が流され、後鳥羽上皇に加担した公家・武士などの所領は没収。

 朝廷の動きや西国御家人を監視するため六波羅探題が設置された。


宇治川の戦い〜承久の乱〜


瀬田の合戦〜承久の乱〜





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