鎌倉手帳(寺社散策)

最明寺(相州善光寺)
〜北条時頼ゆかりの寺〜


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最明寺


 最明寺は、浄蓮房源延が松田山の山頂に建立した西明寺を前身としている真言宗の寺。

 信濃の善光寺を信仰していた源延は、1221年(承久3年)、善光寺如来の模刻像を完成させ開眼供養を行った。

 これが西明寺の始まり。

 その後、西明寺は、五代執権の北条時頼が信仰して隆盛を極めるが、室町時代に入ると相次ぐ兵乱によって衰えた。

 1470年(文明2年)、賢昌が西明寺を現在地に移し再興。

 のちに「最明寺」と改名されたのだという。





〜源 延〜

 源延は天台浄土教の僧。

 源頼朝に仕えた加藤景員の子で、頼朝の挙兵時に山木兼隆を討った加藤景廉や、北条政子を匿った伊豆山権現の覚淵は兄弟だという。

 頼朝の信任を得て伊豆山権現に住し、浄蓮房と称した。

 のちに別当を勤めている。

 法然に師事し、1204年(元久元年)に『浄土宗略要文』を与えられた。

 1213年(建保元年)には源実朝に法華・浄土の趣旨を説いたという。



北条時頼坐像
北条時頼坐像

 五代執権北条時頼と伝えられる肖像彫刻。

 檜の寄木造で南北朝時代のもの。玉眼がはめられ、彩色が施されている。  


リンクボタン木造北条時頼坐像(建長寺)

リンクボタン塑造北条時頼坐像(明月院(方丈))



〜往生要集〜

 「往生要集」は、平安時代に天台宗の僧・恵信僧都源信が984年(永観2年)11月から書き始め、翌寛和元年4月に完成させた経論集。

 最明寺に所蔵されている「往生要集」は源延が所持していたもので、平安時代後期の書写と考えられ、完存する写本としては最古のもの(国重文)。



最明寺山門
山門
最明寺鐘楼
鐘楼


宝篋印塔
宝篋印塔



相模善光寺堂
相模善光寺堂

 善光寺如来(善光寺式阿弥陀三尊)を安置する堂。

 信濃の善光寺の阿弥陀三尊を模したもので、中尊の阿弥陀如来、脇侍の観音菩薩・勢至菩薩の三体は立像。

 三尊の背後は一枚の舟形光背で覆われていることから「一光三尊」と呼ばれる。

 信濃の善光寺阿弥陀三尊は、6世紀に百済の聖明王から伝えられた日本最初の仏像であるという。


信濃善光寺
リンクボタン信濃善光寺







最明寺
最明寺

神奈川県足柄上郡大井町金子3315

小田急線「新松田駅」より徒歩20分
JR御殿場線「相模金子駅」より徒歩15分



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