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北条氏常盤亭跡

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北条氏常盤亭跡


 第七代執権北条政村をはじめとする北条氏(政村流)は、鎌倉の防衛の要衝である常盤に別邸を構えた。

 大仏切通の北に位置し約11万平方メートルが国の指定史跡となっている。

 史跡内では、「法華堂跡」や「やぐら」が確認さている。

 「常盤」の名は政村の「常盤院覚崇」に由来。

 現在、円久寺が建てられている辺りが常盤亭の入口に当たる場所で、昔から「殿入」と呼ばれていた。

 また、常盤亭辺りには、『新編相模国風土記稿』にも書かれている親鸞の弟子唯善の草庵「一向堂」があったといわれ、現在でも地名として残されている。 



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〜北条政村〜

 北条政村は、二代執権北条義時の五男。

 母は伊賀の方

 伊賀の方は、義時が死ぬと政村を執権に据えようと画策したが失敗し、伊豆国流罪となった(伊賀氏の変)。

 連座を免れた政村は、その後、若い北条時宗の代わりとして七代執権となる。

 1268年(文永5年)、蒙古襲来の危機に時宗が八代執権に就任すると、政村は連署として嫡流の得宗家を支えた。


北条氏常盤亭跡





〜宗尊親王の訪問〜

 『吾妻鏡』によると、1256年(康元元年)、六代将軍宗尊親王が「常葉別業」を訪れたとあり、1263年(弘長3年)には、「相州常盤亭」で一日千首の和歌会が開かれたとある。

 北条政村は、和歌にいそしむ文化人でもあった。





〜やぐらの中の朱入りの甕〜

北条氏常盤亭跡


 「タチンダイ」と呼ばれる「北条政村別邸跡」北面の断崖には、数基のやぐらがあって、一番大きなやぐらの中には、甕の形をした穴が残されている。

 この穴には朱入りの甕が納められていたという。

 江戸末期、この甕を発見した百姓が、中に入っているものを血と勘違いし、柏尾川まで持っていって川の中に捨てたところ、江の島の海の方まで紅く染まって大騒ぎとなったという伝説が残されている。





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北条氏常盤亭跡
常盤亭跡のやぐら群

 一段高くなった「タチンダイ」(館台)と呼ばれる平場には、北条政村一族の別邸があった。
 背後の切岸には「やぐら」が残されている。


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