鎌倉手帳(寺社散策)

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和 田 塚
〜和田一族戦没地〜

編集:yoritomo-japan.com







和田塚


 「和田塚」は、1213年(建暦3年)に起こった和田合戦の戦死者を葬った所と伝えられている。

 かつて、この辺りには古墳があって「向原古墳群」と呼ばれ、その中に采女塚と無常堂塚があった。

 塚には多くの五輪塔が転がっていたといわれている。

 1889年(明治22年)の道路改修工事によって采女塚が壊され、続いて、1892年(明治25年)には無常堂塚の一部が削られた。

 無常堂塚からは多くの人骨が発見され、中には刀を握ったままの骨も発見されたという。

 このような経緯から、その人骨が和田合戦の戦死者のものだという話となり、無常堂塚を「和田塚」と呼ぶようになったといわれている。

 1909年(明治42年)、塚の上に「和田一族戦没地」と記された碑が建てられた。





和田塚 和田塚


〜和田合戦〜

 1213年(建暦3年)、侍所別当の和田義盛は、幕府(北条義時)を相手に合戦を挑み、由比ヶ浜で最期を遂げた(参考:和田合戦 北条義時の独裁と和田義盛)。

 この合戦では、鎌倉十橋の一つ琵琶橋付近で激戦が繰り広げられていることから、和田塚辺りも激戦地となったと考えられている。

 鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)の先にある首塚からも多くの人骨が発見されている(参考:若宮大路の歴史散策)。


和田合戦〜北条義時の徴発と三浦義村の裏切り〜(okadoのブログ)







和田塚
和田塚

江ノ電和田塚駅から徒歩すぐ。
由比ヶ浜方面)



鶴岡八幡宮周辺・西御門・二階堂
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