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二伝寺は、1505年(永正2年)、玉縄城の初代北条氏時の発願によって、鎌倉光明寺第九世正空によって開かれた浄土宗の寺。 本尊は阿弥陀如来。 この場所は戦国時代には「二伝寺砦」といわれ、玉縄城から尾根つづきであり、旧鎌倉街道に沿っていたことから、砦の役割を担うため寺が創建されたのだと伝えられている。 |
1590年(天正18年)、北条氏勝によって玉縄城が開城されると、玉縄領は松平甚右衛門正次が治めた。 正次は、のちに玉縄城主となる松平正綱の養父。 1619年(元和5年)に玉縄城が廃された後も、松平一族がこの地を治めた。 右から正次、正次の内室、正吉、久次、正吉の子の宝篋印塔。 |
平良文は、坂東八平氏の祖。村岡城を居城とし村岡五郎と称していた(参考:御霊神社(宮前))。 二伝寺の裏山には、良文・忠通・忠光三代の塚がある。 |
藤沢市渡内3−13−1 |
二伝寺は浄土宗中興の高僧で幡随意白道上人が出家した寺でもある。 上人は、善行の松本家の出身で京都・百万遍知恩寺三十三世も勤めている。 |
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