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安井金比羅宮
〜縁切り縁結び碑〜


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安井金比羅宮


 安井金比羅宮は、668〜671年(天智天皇7〜10年)頃に藤原鎌足が紫色の藤を植え、藤原家一門の繁栄を祈願して創建した「藤寺」をその始まりとしている。

 境内の「縁切り縁結び碑」は、絵馬の形をした巨石。

 この石の穴を表からくぐれば縁が切れ、裏からくぐると良縁に授かるといわれ、「悪縁切り」のご利益で知られている。

 婚姻や恋愛だけでなく賭け事、酒、タバコなどの悪縁も絶ち切ってくれるという。






〜崇徳上皇と安井金刀比羅宮〜

 崇徳天皇は藤寺の藤を愛し、1146年(久安2年)に堂塔を修造し、寵愛していた阿波内侍(あわのないし)を住まわせている。

 1156年(保元元年)の保元の乱で崇徳上皇が讃岐へ流罪となると、阿波内侍は崇徳上皇自筆の御影を観音堂に祀ったのだという。

 1177年(治承元年)、大円法師が観音堂を参拝した折、崇徳上皇の霊が現れたため、後白河法皇に奏上すると、法皇の命によって光明院観勝寺が建立された。

 それが安井金比羅宮の起こりだと伝えられている。

 その後、応仁の乱の兵火によって荒廃するが、1695年(元禄8年)、太秦安井にあった蓮華光院(安井門跡)が移築され、崇徳上皇・讃岐の金比羅宮より勧請された大物主神・源頼政が祀られた。

 源頼政が合祀されたのは、全国の源氏に平家打倒の令旨を発し、頼政とともに挙兵した以仁王の王子・道尊が蓮華光院の初代であったためと考えられている。

 明治の神仏分離によって、蓮華光院が廃され「安井神社」に改称したが、さらに「安井金比羅宮」と改められている。


崇徳天皇御廟所
崇徳天皇御廟

 安井金毘羅宮の北側には、阿波内侍が崇徳上皇の遺髪を譲り受けて築いた塚がある。







安井金比羅宮
安井金比羅宮

京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70

京都駅から市バス
「東山安井」下車徒歩1分



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