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高倉神社(たかくらじんじゃ)は、後白河法皇の第三皇子・以仁王を祀る社。 神社のある綺田(かばた)は興福寺領で、もとは春日神社という藤原氏の祖神・天児屋命(あめのこやねのみこと)を祀る社だった。 1712年(正徳2年)に以仁王が合祀されたことにより春日高倉神社と改称され、1885年(明治18年)に高倉神社と改称されたのだという。 以仁王は、1180年(治承4年)4月9日、源頼政のすすめで全国の源氏に平家打倒の令旨を発し、自らも挙兵するが・・・ 5月26日、宇治で平家軍に敗れ、興福寺へ向かう途中の光明山寺の鳥居の前で藤原景家の軍勢の討たれたとされている。 遺体は春日神社に葬られたとも伝えられ、境内には陵墓があり、付近には以仁王のために奮戦した園城寺の僧兵・筒井浄妙の墓がある。 |
以仁王は、御所が三条高倉にあったことから、三条宮・高倉宮と称された。 |
高倉神社の隣接地が以仁王の陵墓。 |
高倉神社の南にある浄妙塚と呼ばれる墳墓は、筒井浄妙の墓とされている。 |
平等院の塔頭最勝院には、以仁王を逃がすため平等院に篭って戦った源頼政の墓が建てられている。 |
祇園祭の後祭で巡行する浄妙山の御神体は、以仁王のために奮戦した園城寺の僧兵・筒井浄妙と弟子の一来法師。 |
木津川市山城町綺田神ノ木48 JR奈良線「玉水駅」から徒歩16分 |
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