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以仁王(もちひとおう)は、後白河法皇の第三皇子。 1179年(治承3年)11月20日、平清盛のクーデターにより後白河法皇が幽閉されると、平家討伐の準備を始め、1180年(治承4年)4月9日、源頼政と謀って諸国の源氏に平家打倒の令旨を発出。 しかし、間もなく平家方に計画が露見。 5月19日、三条高倉御所を襲撃されるが園城寺に逃亡。 5月26日には興福寺の僧兵を頼って南都へと向うが、平知盛、維盛ら2万の軍勢に攻められ、頼政は宇治の平等院で討死。 以仁王は、光明山寺の鳥居の前で討たれたのだと伝えられている。 光明山寺は、平安から鎌倉時代にかけてあった東大寺の末寺。 平安京と南都を結ぶ奈良街道には、光明寺山寺に入る鳥居があったのだという。 |
以仁王は、御所が三条高倉にあったことから、三条宮・高倉宮と称された。 |
以仁王の陵墓に隣接する高倉神社は、以仁王を祀る社。 |
以仁王の墓の南にある浄妙塚と呼ばれる墳墓は、以仁王に従って奮戦した園城寺の僧兵・筒井浄妙の墓とされている。 |
平等院の塔頭最勝院には、以仁王を逃がすため平等院に篭って戦った源頼政の墓が建てられている。 |
祇園祭の後祭で巡行する浄妙山の御神体は、以仁王のために奮戦した園城寺の僧兵・筒井浄妙と弟子の一来法師。 |
木津川市山城町綺田神ノ木 JR奈良線「玉水駅」から徒歩16分 |
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