奈良・京都

紫式部 紫式部年表



名古曽の滝
〜京都:大覚寺大沢池〜


編集:yoritomo-japan.com








名古曽の滝



 嵯峨天皇が築いた嵯峨院(大覚寺の前身)の大沢池には、人工の滝が築かれていたのだという。

 滝から流れ出る水は、遣水を通って大沢池へ注いでいたらしい。


 藤原道長に仕え、一条朝の四納言の一人に数えられた藤原公任は、枯れてしまった滝を見て

 「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」

 (滝が枯れて、音が聞こえなくなってから長い年月が経ってしまったが、その名声は流れ伝えられて、今も人々に知れ渡っている)

 と詠んでいる。

 公任の歌が知られるようになると、枯滝は「名古曽の滝」(なこそのたき)と呼ばれるようになり、現在も滝の跡が残されている。


 参考までに、同時代、源倫子藤原彰子に仕えた女流歌人の赤染衛門は、

 「あせにける いまだにかかり 滝つ瀬の はやく来てこそ 見るべかりけれ」

 (勢いが衰えてきた今でも、岩にかかる滝の流れを人は早く見ておいた方がいいと思います)

 と詠んでいる。

 この歌からすると、衰えて往時の音は聞こえないが、少しは流れていたらしい・・・



名古曽の滝


名古曽の滝





〜光源氏が晩年を過ごした地〜


 嵯峨院を営んだ嵯峨天皇は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされている源融の父。

 光源氏は、その晩年、嵯峨院で過ごした・・・



七夕に涙を流す光源氏

 最愛の女性・紫の上を亡くした光源氏は、七夕の日に涙を流した。

 紫の上の死後、出家した源氏は、嵯峨に隠棲し、亡くなったらしい・・・



紫式部


源氏物語 光源氏











大覚寺大沢池
リンクボタン大沢池


大覚寺
リンクボタン大覚寺

京都市右京区嵯峨大沢町4

「嵯峨嵐山駅」から徒歩17分
「嵐山駅」から徒歩で23分



洛西エリアの寺社・史跡
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。








奈良・京都


葵祭

祇園祭

時代祭


中世歴史めぐり





紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 後白河法皇
後鳥羽上皇 二代執権北条義時