|
嵯峨天皇が築いた嵯峨院(大覚寺の前身)の大沢池には、人工の滝が築かれていたのだという。 滝から流れ出る水は、遣水を通って大沢池へ注いでいたらしい。 藤原道長に仕え、一条朝の四納言の一人に数えられた藤原公任は、枯れてしまった滝を見て 「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」 (滝が枯れて、音が聞こえなくなってから長い年月が経ってしまったが、その名声は流れ伝えられて、今も人々に知れ渡っている) と詠んでいる。 公任の歌が知られるようになると、枯滝は「名古曽の滝」(なこそのたき)と呼ばれるようになり、現在も滝の跡が残されている。 参考までに、同時代、源倫子や藤原彰子に仕えた女流歌人の赤染衛門は、 「あせにける いまだにかかり 滝つ瀬の はやく来てこそ 見るべかりけれ」 (勢いが衰えてきた今でも、岩にかかる滝の流れを人は早く見ておいた方がいいと思います) と詠んでいる。 この歌からすると、衰えて往時の音は聞こえないが、少しは流れていたらしい・・・ |
嵯峨院を営んだ嵯峨天皇は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされている源融の父。 光源氏は、その晩年、嵯峨院で過ごした・・・ |
最愛の女性・紫の上を亡くした光源氏は、七夕の日に涙を流した。 紫の上の死後、出家した源氏は、嵯峨に隠棲し、亡くなったらしい・・・ |
京都市右京区嵯峨大沢町4 「嵯峨嵐山駅」から徒歩17分 「嵐山駅」から徒歩で23分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|