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源義経に仕えていたという武蔵坊弁慶。 幼少期を三条京極で過ごしたのだといわれ、弁慶石は子供の頃の弁慶が愛した石なのだとか・・・。 伝説によると・・・ 奥州平泉の地で義経とともに最期を遂げた弁慶。 弁慶の死後、三条京極にあった弁慶石は、義経の衣川館があった高館に移されたが、「三条京極に帰りたい」と泣き出し、熱病が流行りはじめたのだという。 人々は弁慶の祟りだと恐れ、弁慶石を三条京極に戻したのだという。 他にも「弁慶が比叡山から投げた石」、「鞍馬口にあった石が洪水で流れ着いた」などの伝説も残されているらしい。 |
京都市中京区三条通麩屋町東入ル弁慶石町 ※下段「京都義経めぐりMAP」 |
高館 (衣川館址) |
弁慶の墓 (中尊寺) |
1189年(文治5年)、義経と弁慶は衣川館を藤原泰衡に攻められ最期を遂げたのだと伝えられている。 |
奥州平泉から戻された弁慶石は、新京極の誓願寺の方丈庭園に置かれていた時期もあったのだとか・・・ |
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