鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



第4回鎌倉検定試験2級
《産業・生活の問題》

編集:yoritomo-japan.com







 産業・生活に関する記述について、最も適当なものを1〜4から選びなさい。


 鎌倉市では街の美観・景観を守るためにさまざまな取り組みが行われているが、2005年(平成17)、美観保持のために施行された条例は何か。

1 都市景観条例
2 受動喫煙防止条例
3 ポイ捨て禁止条例
4 落書き防止条例


 都市景観条例は1996年(平成8年)から施行されています。2009年(平成21年)には路上喫煙防止に関する条例が施行されました。

答 4



 鎌倉市と最も早く姉妹都市となったのはどの国の都市か。

1 フランス
3 イタリア
2 日本
4 中国


 1966年(昭和41年)、フランスのニース市と姉妹都市提携をし、1979年(昭和54年)に山口県萩市、長野県上田市と、1982年(昭和57年)には栃木県足利市と姉妹都市になりました。
 中国の敦煌とは、1998年(平成10年)に友好都市提携を結んでいます。
 ただし、姉妹都市と友好都市の違いに明確な定義はありません(提携の目的は同じです。)。

答 1



 鎌倉のカツオを「鎌倉の海で揚がるかつおという魚は、昔はたいした魚でもなかったのに、このごろは上等な魚になっている。」と著書の中で記した人物は誰か。

1 吉田兼好
3 松尾芭蕉
2 鴨長明
4 山口素堂


 著書『徒然草』の中で吉田兼好が記した文。松尾芭蕉は「鎌倉を生きて出でけむ初鰹」、山口素堂は「目には青葉山ほととぎすはつ松魚」と詠んでいます。

答 1


リンクボタン鎌倉の産業



 次のうち、鎌倉彫の原型となったと考えられていないものはどれか。

1 建長寺の黒漆須弥壇
2 円覚寺の牡丹唐草文前机
3 円覚寺の屈輪文彫木朱漆大香合
4 東慶寺の初音蒔絵火取母


 建長寺黒漆須弥壇円覚寺牡丹唐草文前机、円覚寺の屈輪文彫木朱漆大香合は、宋からもたらされた彫漆品を真似て製作されたものと考えられています。

答 4


鎌倉彫再興碑
リンクボタン鎌倉彫再興碑
鎌倉彫会館
リンクボタン鎌倉彫会館

建長寺須弥壇
リンクボタン黒漆須弥壇
(建長寺)
円覚寺前机
リンクボタン前机
(円覚寺)







 鎌倉の観光地を2008年(平成20)の観光客多い方から順に並べるとき、正しいものはどれか。

鶴岡八幡宮→鎌倉海岸→各寺社の合計→銭洗弁財天宇賀福神社→鎌倉文学館

鶴岡八幡宮→各寺社の合計→鎌倉海岸→銭洗弁財天宇賀福神社→鎌倉文学館

各寺社の合計→鶴岡八幡宮→銭洗弁財天宇賀福神社→鎌倉海岸→鎌倉文学館

各寺社の合計→鶴岡八幡宮→鎌倉海岸→銭洗弁財天宇賀福神社→鎌倉文学館

各寺社の合計とは拝観料を徴収する寺社の拝観者の合計を指す


 鎌倉市資料によると、鶴岡八幡宮約900万人、各寺社約500万人、鎌倉海岸約250万人、銭洗弁財天約100万人、鎌倉文学館約10万人

答 2



 鎌倉の交通について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。

 1889年(明治22)に、横須賀軍港と首都東京を結ぶ国防上の必要性から、東海道線の支線として横須賀線が開通した。
 鎌倉駅で欧文電報の取り扱いが始められたのは、町制施行で鎌倉町が誕生した1894年(明治27)のことである。
 1902年(明治35)には、全国で3番目の電気鉄道として江ノ島電気鉄道が開業したが、当初は藤沢から片瀬までの約3.5qであった。
 1930年(昭和5)に現在の「市道大船西鎌倉線」が開通し、「日本最初の自動車専用道路の出現」と新聞に報じられた。


 江ノ電は全国で6番目の電気鉄道として開業し、現在は3番目に古い電気鉄道となっています。

答 3


江ノ電
リンクボタン江ノ電で鎌倉
鎌倉駅
リンクボタン鎌倉駅



 産業・生活について、次の説明文の[   ]に最も適当なものを1〜4から選びなさい。


 鎌倉は幾度となく、地震による災害に見舞われてきた。『[ @ ]』によると、1241年(仁治2)に「鎌倉津波、由比ヶ浜大鳥居内の拝殿流す」とあり、1257年(正嘉元)には「鎌倉大地震すべての寺社破壊。山崩れ、地割れを生じ水がわき出た」などとあり、中世の人々が度重なる災害に怯えていたことがわかる。
 現代になり、鎌倉に最も大きな被害を与えたのは、1923年(大正12)の関東大震災である。相模湾を震源とするマグニチュード7.9の大地震により、鎌倉は全戸数4183戸のうち約3000戸が倒壊、死者412人、重傷者341人という大きな被害を受けた。この様子は建長寺の宝珠院で大地震を体験した[ A ]が『震災記』で「崖崩れの音、建物の倒れる音、人々の叫び声、とにかくこの世の騒ぎと思われなかった」と書き、長谷寺近くに住んでいて被災した[ B ]は『鎌倉震災記』に「鎌倉最後の日の感愈々深し」と記している。
 また、震災から7年後の1930年(昭和5)には、震災で亡くなられた人々の慰霊のために、[ C ]境内に震災追憶供養塔碑が建立された。


@
1 海道記
3 醍醐日記
2 吾妻鏡
4 北条九代記

A
1 夏目漱石
3 里見ク
2 泉鏡花
4 葛西善蔵

B
1 永井龍男
3 吉屋信子
2 久米正雄
4 高見順

C
1 鎌倉宮
3 建長寺
2 鶴岡八幡宮
4 円覚寺


@ 2  A 4
B 2  C 3



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