鎌倉手帳(寺社散策)

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熱 海 七 湯

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 「熱海七湯」は、熱海の名湯として知られ、大正年代まで残っていた自噴の温泉。

 1997年(平成9年)に「熱海七湯」の再整備が行われ、当時の熱海温泉が再現されました。


大湯間欠泉
大湯間欠泉

 世界の三大間欠泉の一つに数えられていた大湯。

 間欠泉とは、一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉のこと。

 大正時代初期までの大湯は、湯と蒸気を交互に噴出し、その勢いは地面が揺れるようであったのだとか。

 しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で噴出が衰え、現在は人工的に噴出させています。


河原湯
河原湯

 かつての熱海温泉は、湯治客は主に大湯の源泉が使用し、他の源泉は限られた家のみが使用できるお湯でした。

 熱海村の村民や近郷の人達が自由に入浴できたのが河原湯。

 1666年(寛文6年)小田原城主稲葉美濃守が村民のために浴室を設けて、その屋根を瓦葺としたため「瓦湯」とも呼ばれたのだとか。

 塩分が多く、冷え性や神経痛やリューマチなどに効能があって、人が入ると透明な湯が白く濁るほどだったそうです。


佐治郎の湯・目の湯
佐治郎の湯・目の湯

 銀座通りの佐次郎の湯は、医王寺の門前にあった佐治郎という者の邸内にありました。

 塩分が少なく、火傷や眼病にもよく効くといわれ、「目の湯」とも呼ばれました。





風呂の湯・水の湯
風呂の湯・水の湯

 昔の坂町高砂屋(大木円蔵)の庭から湧き出し、外傷に効くといわれていた湯。

 湯気の噴き出しを利用して饅頭を蒸したり、酒を温めたりして販売をしていたのだとか。

 風呂の湯の1.5メートルほど東のところに塩分のない温泉も湧き出ていました。

 温度も低かったので「水の湯」と名付けられていたそうです。


清左衛門の湯
清左衛門の湯

 昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壷に落ちて焼け死んだので、その名が付いたといわれ、「清左衛門ぬるし」と大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たのだとか。


小沢の湯・平左衛門の湯
小沢の湯・平左衛門の湯

 小沢の湯は、沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯で「平左衛門の湯」と呼ばれていました。

 清左衛門の湯のように、大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

 この源泉では、高温の蒸気を利用して「ゆでたまご」を作れます。

 玉子は持参です(目の前の酒屋さんで売っています。)。


野中の湯
野中の湯

 野中(現在の藤森稲荷一帯)辺り一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。

 湧き出るところが浅かったので、あまり入浴には利用されなかったようです。



大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。






熱海:湯前神社
リンクボタン湯前神社

 熱海の温泉街に鎮座する湯前神社は、平安時代からの古社。

 鎌倉時代に入って、源頼朝伊豆山権現箱根権現二所詣を始めたことで「湯治の神」として信仰されるようになった。

 湯前神社前の「大湯」は、徳川家康が湯治に訪れたという源泉。







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