鎌倉手帳(寺社散策)

正嘉の飢饉
〜鎌倉時代の自然災害〜

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 寛喜の飢饉に続いて、正嘉年間(1257〜1259)にも鎌倉は飢饉に襲われた。

 1257年(正嘉元年)には、大地震が起きるなど自然災害が頻発したことが『吾妻鏡』に記されている。また、翌年6月24日の条には「鎌倉の寒気はまるで冬天のようだ」と記している。

 8月には暴風雨によって「諸国の田園ことごとくもって損亡す」とあり、さまざまな天変地異の現象が起きていたことが窺える。

 その他、大流星の発生や北条政村の息女が比企能員の娘に祟られるという怪異現象も発生し、鳥にまつわる怪異も伝えられている(参考:蛇苦止堂と蛇苦止ノ井(妙本寺))。 


路上にあふれる死人と病人

 自然災害だけではなく火災などの人災も多く発生し、1260年(文応元年)に日蓮が五代執権北条時頼に献じた『立正安国論』には、「天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち・・・・牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり」と記されている。

 鎌倉の道には死人や病人であふれていた。1261年(弘長元年)、幕府は「病者、孤子(みなしご)、死屍を路辺に捨てる」ことを禁じている。

 また、捨てられた病人を無常堂に収容することも定めた(無常堂は、由比ヶ浜にあった無縁の病人を収容する終末医療施設)。






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