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瑞泉寺裏山の崖に置かれているのは伝説の「貝吹地蔵」(参考:天園ハイキングコース)。 1333年(元弘3年)、新田義貞が稲村ヶ崎を突破して鎌倉市中に乱入。 北条高時は東勝寺で自害したが、その首を新田軍に渡してはなるまいと逃げまわっていた家来がいた。 しかし、新田軍の追手が迫り逃げ場を失ってしまう。 そこへ地蔵が現れて、貝を吹き鳴らしながら瑞泉寺の裏山に案内してくれたという。 そのおかげで、高時の首を無事埋葬することができたという伝説が残されている。 また、地蔵がほら貝を吹いて、新田勢が攻め寄せてきたことを知らせたとも伝えられている。 |
伝説が残されているだけあって、貝吹地蔵の周辺には北条高時をはじめとする北条一族を葬ったとされるやぐらが多数存在する。 |
貝吹地蔵から瑞泉寺方面へ向うと偏界一覧亭の裏に出る。 この近くには、北条高時の首を葬ったとされる「北条御一門御廟所」(北条首やぐら)がある。 五輪塔や板碑などが浮彫りされているものもある。 |
貝吹地蔵の下から番場ヶ谷へと向かう谷にもお塔やぐら(お塔の窪やぐら)があって、ここも北条高時の首を葬ったやぐらと伝えられている。 中央の五輪塔が高時の供養塔といわれている。 周りを囲む宝篋印塔は籾塔と呼ばれ五穀豊穣を祈るためのもので鎌倉では珍しい。 |
葛西ヶ谷の東勝寺では、1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによって敗れた北条一族を含む約870名が自刃した(鎌倉幕府の滅亡)。 東勝寺跡には、北条高時の首を葬ったと伝えられる「腹切りやぐら」も存在しているが、高時らが葬られたのは、釈迦堂ヶ谷奥やぐら郡(釈迦堂切通付近)と考えられている。 |
瑞泉寺と北鎌倉の建長寺を結ぶハイキングコース。 |
「お塔の窪やぐら」への道 鎌倉アルプスの散策・・・前編 後編 |
瑞泉寺は、夢窓疎石によって開かれた禅寺。 疎石によって造営されたという庭園は、国の名勝指定を受けている。 |
鎌倉市二階堂710 0467(22)1191 鎌倉駅徒歩30分 バス停「大塔宮」から徒歩10分 |
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