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源義経は、1185年(文治元年)、壇ノ浦に平家を滅ぼした源平合戦の英雄。 しかし、兄頼朝と不仲となり、都を落ちて大物浦(だいもつのうら・摂津国)から西国へ向かったが、難破して行方をくらませた。 伝説によると、和泉国に流れ着いた義経は、吉野山に逃れる途中で四天王寺に立ち寄り、松の木に鎧を掛けたのだという。 その後、義経は、長い逃亡生活を送り、奥州平泉の藤原秀衡の許に落ち延びたが、秀衡死後の1189年(文治5年)閏4月30日、秀衡の跡を継いだ泰衡に衣川館を襲撃されて最期を遂げている。 |
『義経記』によると・・・ 義経は、吉野山に逃亡する前に、住吉大社の神主・津守長盛の許で一夜を過ごしたのだという。 |
住吉大社 |
吉野山 |
四天王寺は聖徳太子建立の七大寺の一つ。 鎌倉時代には、源頼朝が参詣している。 |
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