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音羽の滝
京都:清水寺

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清水寺音羽の瀧


 音羽の滝(おとわのたき)は、奥の院の崖下にある霊水。

 清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった滝で、三本の筧(かけい)から清水が流れ落ちている。

 この清水は、「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきた。

 現在では、流れ落ちる清水を柄杓で汲み、六根清浄、所願成就を祈願する参拝者で賑わっている。

 もとは滝行の場。

 開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われている。 



音羽の滝の清水→清水寺

 清水寺は、はじめ「北観音寺」という寺名だったが、音羽の滝の清水が人々に知られるようになり「清水寺」と改められたのだという。

 「おとわ」は地名で、もとは「乙輪」と書かれていたが、鎌倉時代の公卿藤原家隆が「流れ落ちる音が鳥の羽音」のようだと詠んだことから「音羽」と書くようになったのだとか・・・

 「松風や音羽の滝の清水をむすぶ心はすずしかるらん」(御詠歌) 


清水寺音羽の瀧


清水寺音羽の瀧
清水の舞台から。








歴史めぐり源頼朝




清水寺
リンクボタン清水寺

 清水の舞台で知られる清水寺。西国観音霊場の第十六番札所。
 源頼朝は、三歳のときに清水寺から下された二寸銀の聖観音像を守り本尊とし、1180年(治承4年)の挙兵の際には、髷の中に納めていたという(参考:鎌倉・源頼朝墓)。



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