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浄光明寺の不動堂に安置されているのは「八坂不動明王像」。 京都八坂の五重塔が皇居の方へ傾いたときに、八坂寺の浄蔵貴所という僧が傾いた八坂の五重塔を法力で元に戻した。 その際、祈祷の本尊だったのが浄光明寺の不動明王像だったのだという。 そこから「八坂不動明王像」と呼ばれるようになった。 その後、京都高雄山(神護寺)に祀られていたが、文覚が以仁王の令旨をこの像の中に隠し、伊豆に流されていた源頼朝に渡したという伝説も残されている。 |
※ | 浄蔵貴所は法力で死んだ父親を一時的に蘇らせたという伝説もある。 (参考:一条戻橋(京都)) |
後白河法皇に神護寺再興を強訴して伊豆国流罪となった文覚。 頼朝が暮らす蛭ヶ小島に近い奈古屋に庵を結んだ文覚は、頼朝に源氏再興の挙兵を勧めていたのだという。 そして、1180年(治承4年)、京都では平清盛の人気が急降下。 文覚は赦免されて京都に帰っていたが、以仁王の令旨を隠した不動明王像を担いで再び伊豆の頼朝の前に現れたのだという。 |
※ | 『平家物語』では後白河法皇の院宣を届けたことになっている。 |
怪僧文覚と源頼朝(okadoのブログ) |
浄光明寺華蔵院旧蔵で鎌倉市の文化財。 伝説が残された不動明王だが、その様式から南北朝時代から室町時代のものではないかと考えられている。 毎年、大晦日の夜、除夜の鐘が撞かれるときに開帳されている。 |
八坂の塔 (京都) |
神護寺 (京都) |
浄光明寺は、1251年(建長3年)、北条長時(のちの六代執権)によって再興された真言宗の寺。 足利尊氏・直義兄弟にゆかりのある寺でもある。 |
鎌倉市扇ガ谷2−12−1 0467(22)1359 鎌倉駅西口から徒歩15分 |
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