鎌倉手帳(寺社散策)

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源 頼 朝
鎌倉に武家の都を創った武将

編集:yoritomo-japan.com







 1147年(久安3年)4月8日生(出生地は、京か尾張と考えられている。(参考:源頼朝誕生地))。

 清和源氏の一流で「河内源氏」の棟梁源義朝の三男として誕生(参考:六孫王神社)。

 幼名は「鬼武者」。母は、熱田神宮大宮司藤原季範の娘由良御前

 三男だが、当時は母の家柄が重んじられたため、頼朝は当初より嫡子として扱われた。 


源頼朝
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 父義朝が「平治の乱」で敗北し、義朝とともに東国へ逃れようとしたが、義朝は逃亡中の尾張国野間で家臣の裏切りにより殺され、頼朝は平清盛のいる京の六波羅へと送られた。

 清盛は、継母「池禅尼」に頼朝の命を助けることを請われ、「伊豆蛭ヶ小島」に流した。


箱根神社
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(源頼朝ゆかりの地)
源頼朝配流地
リンクボタン伊豆韮山
(源頼朝配流の地)

蛭ヶ小島
頼朝・政子像
リンクボタン蛭ヶ小島
石橋山古戦場
リンクボタン源頼朝の挙兵




=頼朝の鎌倉入りと鶴岡八幡宮=

 源頼朝は、配流地の伊豆蛭ヶ小島で約20年を過ごしたのち、1180年(治承4年)、平家打倒のために挙兵した(参考:香山寺(伊豆韮山))。

 石橋山の合戦では敗北したものの、真鶴から船で安房に渡り、関東の有力な豪族を味方につけて鎌倉入りしている。

 鎌倉入りした頼朝は、先祖源頼義石清水八幡宮を勧請して由比郷鶴岡に創建した鶴岡若宮を現在の地に遷座した(現在の鶴岡八幡宮)。

 1182年(寿永元年)、妻北条政子が懐妊すると、安産祈願のため京の朱雀大路を模した「若宮大路」を造営し、その中央には「段葛」が設けられた。

石清水八幡宮
リンクボタン石清水八幡宮
由比若宮
リンクボタン由比八幡

鶴岡八幡宮
リンクボタン鶴岡八幡宮
段葛
リンクボタン段葛
若宮大路

鶴岡八幡宮舞殿
リンクボタン舞殿
鶴岡八幡宮一の鳥居
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(一の鳥居)

 鶴岡八幡宮は、1191年(建久2年)に焼失したが、頼朝は、改めて京都の石清水八幡宮の祭神を勧請し、現在のような上下両宮(上宮(本宮)と下宮(若宮))の姿となった。

 1193年(建久4年)に舞殿(下拝殿)」も造営された。

 江戸時代には、徳川秀忠(二代将軍)が若宮を、徳川家斉(十一代将軍)が本宮を修復造営している。現在の鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)は、徳川家綱(四代将軍)に寄進されたもの。


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源頼朝像
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