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多井畑厄除八幡宮(たいのはたやくよけはちまんぐう)は、疫病が流行した770年(神護景雲4年)に疫神を祀り、疫祓いを行った地に鎮座する社。 多井畑厄神とも呼ばれ、日本最古の厄除けの霊地とされている。 安元年間(1175−1177)、この地に石清水八幡宮が勧請され神社が創建された。 平安時代前期に須磨に蟄居していた在原行平や、鎌倉時代に一ノ谷の戦いで活躍した源義経が祈願したといわれている。 祭神は応神天皇(八幡神)。 |
『続日本紀』によると、770年(神護景雲4年)6月、皇居の四隅と畿内の境界十所で疫神祭が行われたのだという。 多井畑厄除八幡宮は古山陽道の摂津と播磨国の国境。 疫神祭塚は、疫病を鎮める儀式をした跡地。 |
疫神祭塚の前には水がはられ、ここで人の形をした形代に罪や穢れを移して水に流すと、厄や災いを除けるのだという。 古代の日本では、紙で人体の形をしたものを作って、これを流して災いを除いたのだという。 紫式部の『源氏物語』では、須磨に蟄居した光源氏が浜で上巳祓を行っている。 |
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多井畑厄除八幡宮の西側には、在原行平の愛人だった松風と村雨の墓がある。 在原行平は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされる人物。 |
義経腰掛の松は、多井畑厄除八幡宮で戦勝を祈願した源義経が休息した場所。 ここから義経は平家の拠る一ノ谷へと向かう。 |
神戸市須磨区多井畑字宮ノ脇1 神戸市営地下鉄「名谷駅」・「妙法寺駅」、「JR須磨駅」よりバス 多井畑厄神下車 |
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